琉球北山の王子(次男)である沖永良部の世之主の子孫である宗家の調査をしている私ですが、なんとまぁ驚きのことを発見しました。
琉球の三山時代には北山・中山・南山とそれぞれに王がいて、中山の第一尚氏によって琉球統一がなされましたが、これらの王たちはみんな同族であったようですね。なので、当家も出は北山ですが、中山王家とももちろん親戚です!
それで、、、何を発見したかというと、中山王に仕えていたある士族の家です。
そんな、仕えていた士族って沢山いただろーって。そうです、士族もたくさんいたのですが、その中でこんな士族がいたのです。
琉球士族:福地家
どんな士族かというと以下の内容が那覇市歴史博物館に掲載されていました。
琉球王国時代の文書や衣裳などを那覇市に寄贈いただいた福地家は、王国時代の那覇士族の家柄です。
福地家は那覇士族が任職する事ができる最高職の「御物城(オモノグスク)」を勤めるなど、当時那覇で有力な家で、王国時代の貴重な文書類が多数伝えられました。職務日記や公的日記、門中の祭祀に関する記録、他にほとんど例のない私的な日記など、那覇・沖縄の歴史をひもとく上で重要な遺産です。
また、王国時代の色鮮やかな衣裳や陶器・漆器などの調度品類も数多く残され、往時の士族層の豊かな暮らしぶりをうかがい知ることが出来る貴重な資料群となっています。
それで、この福地家の何が驚きかというと、実は私の旧姓は福地なのです。
全国20,000件ほどと言われている福地家です。しかも私は長崎の出身で、長崎と琉球は古代から繋がりが深い。。。
早速実家の父に確認してみましたが、先祖が琉球などとは聞いたことが無いと、、、でも面白そうだから調べてみたら~って(笑) とぉーっても軽い雰囲気での調査依頼でした"(-""-)"
単なる偶然かもしれませんが、偶然過ぎるかもって勝手に思いながら、さっそく琉球の福地家について知りたくなったので、本を購入しました。何か関係が分かるかしら?と期待しながら読んでみたいと思います。
私の実家の福地家と琉球の福地家に繋がりがあるとしたら、それはそれで素敵な展開ですね~☆彡