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先祖を探して

Vol.74 朝鮮じいさん

                       Wikipedia より朝鮮総督府

ご先祖様に「朝鮮じいさん」と呼ばれていた方がいたそうです。これは、北九州に住む叔父からの情報で、叔父が子供の頃に近所に住んでいた老人だったそうです。
なぜそのように呼ばれていたかというと、この老人が若いころに朝鮮にいらしたからだとのこと。その情報をもとに、義経お爺様が書いた資料で調べてみましたところ、確かに朝鮮に住んでいた親族がいたことが判明。資料や他の親族の方からの話によると、この方は朝鮮で警察官をしていたそうなのです。
当家の義経お爺様の父親の弟にあたる方で、明治8年(1875年)生まれの方ですので、青年で警察官となるとまだ明治期ですね。
この時代に島を出て朝鮮で警察官だなんて、どういう背景であったのかを調べてみました。

明治期の朝鮮

1910年、大日本帝国は大韓帝国との間に結ばれた「韓国併合ニ関スル条約」(日韓併合条約)の締結によって大韓帝国を併合し(韓国併合)朝鮮総督府の統治下に置いています。日本の同盟国のイギリスやアメリカ、フランスやドイツ、中華民国などの世界の主要国もこれを認めたことになっています。日本による統治は1945年までの35年間です。


Wikipedia より
日韓併合条約調印に際する1910年8月22日付の純宗から李完用への全権委任状

統治時代にはいろんなことがあったようですが、今回は「朝鮮じいさん」の警察官に関する内容で調べてみました。


憲兵警察制度 (朝鮮総督府)

朝鮮では独立運動の武装蜂起が続いており、一般の警察だけでは治安の維持が難しかったので、ヨーロッパの国家憲兵の制度を参考に憲兵警察制度(けんぺいけいさつせいど)が創設されました。朝鮮総督府が採用した制度で、陸軍の憲兵が一般の警察をも兼ねる制度でした。
一般警察と憲兵が同一の地域に混在していたわけではなく、フランスの国家憲兵隊(ジャンダルムリ)のように担当の地域が決まっており、軍警の地域分担は、ざっくりと以下の通りであったそうです。
  • 一般警察 ・・・鉄道沿線、港、都市部
  • 憲兵 ・・・軍事上枢要の地、国境、一般警察が整備されていない地域

憲兵警察制度の人数は併合年で7,712名(その内、朝鮮人は4,440名)で、内地と同様の言論・結社の自由の厳しい制限などに代表される武断統治を行い、朝鮮王朝末期から続いていた混乱を収束させ、抗日運動を抑えこんだということです。1919年には三・一独立運動が起こったが、日本の憲兵警察により鎮圧されたのだそうです。
なるほど、朝鮮の警察といっても陸軍が関係していたのですね。当家の「朝鮮じいさん」は、陸軍の憲兵として朝鮮に渡っていたのでしょう。


朝鮮警察職員録

この件を調べるにあたって、「朝鮮警察職員録」という記録簿に出会いました。
1930年と1945年の2冊があり、どちらも国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧が可能でしたので、各冊に7000名以上の記録のある名簿から当家の「朝鮮じいさん」の名前を探してみましたが、残念ながら見当たりませんでした。古い方の1930年でも年齢は55歳になられているので、もう日本に帰国していたのだと思います。詳しい情報を得られるかもしれないと期待しておりましたので少々残念です。




晩年の「朝鮮じいさん」

この話を教えてくれた叔父によると、「朝鮮じいさん」は家で駄菓子屋を営んでいたそうです。当時島では珍しい駄菓子と文具が売られていたそうで、叔父もお目当ての商品を買いに頻繁にじいさんのところに通っていたそうです。
もしかしたら島中の子供たちが通っていたのかもしれませんね。
じいさんは昭和27年(1952年)に77歳で他界されています。
今は宗家の一族が眠る墓所で、安らかに眠っておられます。



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