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先祖を探して

Vol.365 琉球辞令書の「任ズ」と「遷任セシム」①

1500年代~1609年までの琉球王国による奄美地方の統治は、第二尚氏3代目尚真王の時から本格化し、琉球本土から統治者が派遣されたり、島の有力者が統治者として任命されたりしたようですが、その時代の沖永良部島の統治者はいったい誰だったのか?
正式に記録された文書は島には存在せず、唯一確認できるのが世之主の母方の家と伝わる要家の文書です。
その文書には、「直城の大屋 次郎かね」や「永良部のよひと」といったキーワードが書かれており、この人物が琉球時代の最後の大屋子であり、薩摩の統治における初の与人であった可能性が高いのです。

他に記録があるのは、琉球で作成された家譜です。
1698年の第11代尚貞王の時代に王府に系図座という機関が設置され、主に士族の管理を目的として、士族の各家がご先祖を遡って記録し、その家譜が認められれば正式な琉球士族として扱われました。
系図座に保管されていた家譜は廃藩置県の時点で3000程あったといいますが、戦災ですべて焼失し、戦後は寄付や複写により那覇市立博物館に保管され、那覇市の博物館の方で閲覧ができます。
家譜の資料集として本にまとめて掲載されているものもあります。
この琉球の家譜には、家系図だけではなくその人物が役人に任命されたことや、配置換えなどの記録、家族の出来事の記録など様々なことも記載されています。その中に沖永良部に関係したことが書かれている家譜がいくつかあります。

私は奄美地方と琉球との関係(特に関係した人)を見る時に、奄美地方との関係の記述がある家の家譜の内容を抜粋して資料集とした石上英一先生の奄美諸島編年史料(上下巻)を参照することも多いのですが、その資料の中に書かれている人物が奄美の島々の役人に任命された時の文面に、気になる表現の違いを見つけました。
それは2パターンあります。
パターン1「〇〇を奄美大島の大屋子に任ズ
パターン2「〇〇を奄美大島の大屋子に遷任セシム

どちらも任命されたというような意味ではあるのですが、この使い分けが非常に気になったのです。特に遷任という言葉の意味ですが、遷の文字は遷都などにも使われるように場所の移動があったことを意味すると思うのです。あくまで推測ですが、「任ズ」と書かれている人は現地採用者、「遷任セシム」と書かれている人は、琉球本島の方から海を渡って赴任した人ではないかと思うのですね。
もう少し詳細については、次回に書きたいと思います。



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