穏やかな時間が流れているイメージがある沖永良部島ですが、第二次世界大戦中はこの島にも日本軍が駐留し、島民は不安な日々を過ごしていたようです。その日本軍の陣地となったのが世之主神社の境内だったそうです。
日本軍によって境内にあった石垣などが壊されていた話は前回書きましたが、古老の話によればもっと凄いことがあったのです。
それはなんと、神社の後ろ北側に1メートルほどの幅で穴を掘り、そこから神社の下を通って東側に向かってトンネルが掘られていたというのです。
その地下道は東側の土手まで続き、その先には銃眼が向けられ、東側の玉城方面からの襲撃に備えていたといいます。
神社北側の縦穴は、大木の側に掘られていたと言いますが、現在はもうそれがどこにあるかは分かりません。神社の下を通っていたというトンネルもどうなっているのか?埋められたのか?
もしかしたら、終戦後の昭和38年の神社の建て替えは、そのあたりの修復も兼ねていたのかもしれませんね。
この話を聞かせてくれた古老は、若い頃に実際にこの穴に入ってみたことがあったそうですので、これは実話です。平和を願う世之主が祀られている境内で、まさかの戦闘態勢がとられていたとは驚きです。
島ではアメリカ兵の上陸による戦闘はなかったようですが、空爆による被害はあっています。
実際に当家の親族にも、子供の頃に両親を空爆の流れ弾で亡くした方がいます。
戦争という恐ろしい事実がこの島にもあったことは、しっかりと記録しておかなければなりませんね。