漫トラ日記

現実生活空間&脳内妄想空間を日々マンガに浸食される主婦の怠惰な日常

よしながふみ『あのひととここだけのおしゃべり』②

2008年09月12日 04時03分03秒 | 
①から続いて・・・

第5章 羽海野チカ「メディア化するということ」
よしなが:そもそもの馴れ初めの話を。~中略~
本当にたまたま共通の知人がいて。
羽海野:「お見合い」をさせてもらったんですよ。
よしなが:お昼を食べて、確かウミノさん、忙しかったんですよ、その日。
そしたら、お茶を飲みに行こうと言う話になって・・・。
ウミノさんがお茶くらいなら・・・って、お茶にしたんですよ。
で、6時が閉店で追い出されて、で、ウミノさんが自分から「お腹すきませんか?」って言ってきて(笑),
「え?仕事は?」って言ったら、「ううん、あのね、大丈夫なの、頑張ってやれば」って。
で、6時に居酒屋に入って、弊店の10時半までいて、追い出されて(笑)、
それで、「珈琲を1杯」って言った時には。もう他の人は笑ってたんだよね。
~中略~
で、ジョナサンに入って二人で結局明け方の4時まで・・・。
羽海野:そう、結局明け方の街をタクシー乗って。結局何時間喋ったんだろう。
よしなが:耐久16時間。~中略~ 初対面で16時間喋るってあなた。


よしなが:マンガ家は分かる事なんだけど、数あるまんがの中から別の畑のクリエーターの人が、
自分の作品を選んでくれたと言うKとの、この嬉しさ、っていうのがあるんです。
駄文誰一人として「もっとせんでんになるから」と言う理由じゃないのよ。
メディア化を受けるって言うのは。
~中略~
羽海野:でも、読者さんから帰ってきた反応は「そんなにまでして売れたいのか」と言うもので・・・
すごくビックリして悲しくなってしまって~中略~
よしなが:読者さんは、それでマンガが面白くなくなってしまうんじゃないか、とか、
人気が出たからとってたらたら長くなっちゃうんじゃないか、とか。
そういうことを心配なさってる。
だから、メディアになってもならなくても、マンガ家の出来る事はいつも一つで、
面白い漫画をベストを尽くして描こうとすること、それだけ。
~中略~
羽海野:よしながさんがね「ドラマも何もみんな通り過ぎていくけれども、単行本だけが残る。
だから、マンガを頑張る事」だって。
「時間が経っても残るのは原作のマンガだけだから、そこを自分で分かっていれば大丈夫だ」って言ってくれて、
あの時は嬉しかった。


第6章 志村貴子「表現は選択できない」
志村:マンガがなかったら、私、本当にすごく社会不適合者なんですよ。
だから、よかった、マンガがあってって思う。


よしなが:私、マンガのいかがわしいところが好きなんです。
だから、それが理由で小説やほかのエンターテイメントなジャンルから低く見られるならそれでもいいと思うの。
ちょっと得ろ買ったり、何かの際々ま部分を描いていたり、そこが好きなんだもん。
間違っても文部省ご推薦、みたいにならないように、そんな認められ方はしなくていいと思って。


よしなが:ネガティブ思考だから、人生の怖い可能性を全部考えてしまうんです。
志村:私はネガティブ思考のくせに自分に甘いから、なんとかなるさって思っちゃう(笑)。
~中略~
でも、社会性に欠けるからマンガ家になったようなものなのに、
ここでもやっぱり社会性が求められるんだなぁと思うことってありません。
よしなが:長くマンガ家をやってらっしゃる方ほど社会性が高かったりして、
どういうサバイバルゲームなんだ!って思うことがあります(笑)。
どこでも世間は甘くないって事なんですよね、きっと。


よしなが:男性と女性とでは、萌えに関して大きく違いますよね。
女性の萌えは、関係性に萌える。
志村:男性は属性に萌えますよね。単体のキャラに萌える。
~中略~
女性は、キャラが二人いるときの言動に萌えるんですよね。
だからなのか、女の人が好きな伽羅を語る問いは、
そのキャラがだれそれにこういう事をして、とエピソードで語ることが多いけれど
男の字とのキャラ萌えはそのキャラの外見や属性について語っている気がする。


第7章 萩尾望都「マンガ=24年組というくらい…」
よしなが:『トーマの心臓』も、最初にトーマが死んでしまうわけですが、その分からなさが怖かったんですよ。
最後まで読んでも子供の(頃の)私には腑に落ちないところもあって、そのわからなさがまた怖かった。
でも、萩尾先生の作品に出会えて本当に良かったと思ってます。
萩尾:そんなふうに言っていただけて、どうもありがとうございます。
よしなが:いえ、とんでもない。
こちらこそ子供の頃から贅沢なものを読ませていただいて、ありがとうございます。
たとえば萩尾先生の『スター・レッド』などの作品を子供の頃に読んでしまうと
それがスタンダードというか当たり前だと思ってしまって、のちにいろいろ読んでそれは違うと言うkとが分かるんですが。
毎日贅沢なものばかり食べていた子供みたいに、当たり前のように普通に食べていたものが全然普通の食べ物ではなかったということに後に気付く、というか。


よしなが:私、『銀の三角』は何度読んでも、5分の4くらい読んだところでなんだか分かったような気がするんですが、
最後まで読み終わると、「このままでは人に粗筋を説明できん・・・」と思ってまた読み直そうとするんです。
~中略~
結局、そのラグトーリンが誰だったのか明白にはされていなくて、なんとなくわかるようにはなってるとうか。
~中略~
萩尾:世界の綻びの上に立つように言われた、お針子さんみたいな存在かもしれないですしね。
ラグトーリンのことを何かの媒体だと言う人もいます。
よしなが:萩尾先生は、『マージナル』の「地球の見た夢をキラが最後に見るんだ」と言うようなセリフだったり、
『銀の三角』の「結び目だったパントーもほどけていなくなった」というようなセリフだったり、
そういう一言でするっとその世界の事を端的に説明されることがありますよね。
そして、その言葉を目にした瞬間には、その世界のことがすべてわかったような気がするんですが、
最後まで読み終わるとなんだかふわっとした気分になってしまって・・・。
萩尾先生の、特にSF作品を読み終わったときは、なんともいえない不思議な読後感があります。


よしなが:よく親は子供のことを何があっても愛しているというけれど、本当は逆なんじゃないかと思います。
だって、そうじゃない親もいるし。
でも、小さな子供は間違いなくどんな親でも親のことを愛してると思うんです。
萩尾:子供は親に依存しないと生きていけませんものね。
~中略~
よしなが:萩尾先生の場合『訪問者』も親子者といえばそうなんですが、『イグアナの娘』はちょっと違う。
ターニングポイントのような作品なんじゃないのかしら、と思ったんです。
萩尾:親子問題というのは、私がずっと抱えていた問題なんです。
それまでにも、どうして親子でこんなにうまくいかないのかと、心理学などいろいろな本を読んでいたのですが
あるときふと占いの本を見たら「親子でも相性の悪い場合がある」というようなことが書かれていたんです。
そのときに、これが答えなのかな、とおもいました。
相性が悪いと言うのはどうしようもないじゃないですか。
だから、産んだ娘がイグアナだったら、これはもう完全に相性が悪い。
愛せないわけですから。
でも、娘がイグアナなんだから、本当は生んだお母さんだってイグアナなんじゃないのって。
タダ自分の中の見つめたくないぶぶんだからそうは見えていないだけで、
本当はそうなんじゃないのって、思ったんですよね。
~中略~
萩尾:『残酷な神が支配する』を描いてるときまでは、大人は大人で、子供は子供という距離感がとてもあった。
ところが、あの作品を描き終えてから、じぶんもとうに大人の癖して、大人だから完璧ではないんだな、と思うようになりました。
親は自分にとって完璧な絶対神のような感じがあったのですが、親も人間だしいろいろあるよね、と。
それでやっと『バルバラ異界』で大人のお父さんを主人公に描いて、あれ以来日本物を描くのが少し楽になりました。

よしながふみ『あのひととここだけのおしゃべり』①

2008年09月12日 04時02分48秒 | 
よしがふみ対談集『あのひととここだけのおしゃべり』

よしながふみさんが羽海野チカさんや萩尾望都さん等7人とマンガ(特にBL)について語り合う
とてもディープな内容の対談集

名言(迷言?)・珍説満載で、うんうん頷いたり思わずニヤリとしたり
思わず腐海の深みに引きずりこまれそうになる面白さです!
もう腐海にどっぷりつかっている方々にはより一層楽しめる事でしょう!

てことで、一人で受けてるのはとっても勿体無い!!
少しだけ抜粋しておすそ分けします~


第1章 やまだないと×福田里香「私たちの大好きな少女マンガ」
やまだ:少女マンガってさ、ちょっとタブーっぽいこともありにするための工夫をいろいろ考えるよね。
よしなが:そうですね。男同士もタブーの一つだし・・・
やまだ:男同士がタブーっていうよりも、~中略~、レイプされてみたいっていう願望がタブーだから、
男の子とかの姿に変えて描くんじゃないかな。
福田:レイプ願望とは違うと思うな。~中略~ ていうか、レイプしたくなるぐらい・・・・
福田・よしなが:私を好きになってほしい!
福田:(笑)ってことなのよ。
~中略~
福田:その人限定でレイプされるほど愛されたいってことなのよ。
レイプは最上級の乙女表現にすぎない。
よしなが:一般のレイプ願望ではないんだよ。その人にどれだけ求めてもらえるか、っていう話なんですよ。
福田:だから、それ読んで女の子が全員レイプしてほしいと思うのは大間違いで、そんなことは望んでない。
だいたい男の人って勘違いするんだよね、それ読んで。


第2章 三浦しをんその1「フェミニズムはやっぱり関係なくないのよ」
三浦:私は一時期インテリみたいな男の人が、24年組を語るのがホントに腹立たしかったんですよ。
しかも、彼等はちゃんと読めてないんですよ!
~中略~
よしなが:『綿の国星』の猫耳のチビ猫ちゃんを見て、「あれが少女の化身」って言い方をするんだけど、
違う、私たちが同化しているのはむしろ時夫で彼に共感してチビ猫を眺めているのであって、
誰もチビ猫に共感していつまでも少女でいたい願望をこのにゃんこに託したりなんかしてません私たち!みたいな。
三浦:そうなんですよ!何一つわかっちゃいない!
よしなが:でてくるのが少女だから、少女は少女に共感するだろうって言うのがまず間違っているんですよ。
大島さんのマンガって少女にどっぷりはまっているんじゃなくて、むしろはるか高みから描いていて・・・・。
~中略~
三浦:永遠の少女性みたいなものに非常に冷たいですよね。
よしなが:『バナナブレッドのプディング』で衣良ちゃんが結局あのままでは生きていけなくて最後に大人になる決心で終わるように、
必ず大島さんのマンガって少女が大人になる瞬間を描いていて、
いつまでも永遠の少女でいることなんて全然描いてないんですよね。
~中略~
私はむしろ永遠の少女を描いているといったら、吉野朔実さんの方だと思います。


よしなが:親は私に学校の先生になれって言ってたんですが、
理由を聞くと、「好きな人と結婚したいってことは、相手の経済状況とか考えないで結婚したいっていうことだよね。」
「女の人が働いてないと、なかなかそれは出来ないんだよ。」
「男の人に養ってもらおうと思ったら、男の人の経済状況や家のことを全部条件に入れないといけない、要するにまったく自由に好きな人とは結婚できない」
あるいは「好きな人がいないから結婚しません」って選択肢はとれないんだよって。
社会って言うのはホントに不公平で不条理で女の人が生きていくってことはとっても大変なんだって、親に恐怖心を刷り込まれたんですよ。
成績が良くて一番とれば女の子だって一番、そんな男女平等の世界は学校だけだって。
~中略~
不条理なことがあったら訴えるべきことは訴えればいいのですが、
社会が急に変わるわけじゃないし、
結局は自分が工夫してやっていくしかないんです。


第3章 こだか和麻「ボーイズラブじゃないと描けないこと」
こだか:私は、BLは“切なさ”が描ければいいと思うんですよ。
読んでる人を切なくさせればいいかなって。


こだか:BLは女の子が読者なので合体場面が必ずある。
主人公たちが一体になることに意味があるんですね。
~中略~
要はエッチシーンてサービスカットなんですよね。
読んでる人は、主人公たちがラブラブに至るまでの紆余曲折のシチュエーションを楽しむわけで、
つらいこともあったけど、ようやく二人でいっしょになれたねって、それがうれしい。
エッチシーンはご褒美みたいなもの?(笑)


こだか:以前に河惣益巳先生とお話させていただく機会があったんですが、
『ツーリングEXP』でなかなかシャルルとディーンがくっつかなかったのは、少女マンガだし、子どもが読むかもしれないものなので、
男といえども胸から下を描くのはよろしくないという、壁があったそうなんですよ。
それがBLを浸透してきたことによって、男同士のエッチシーンも珍しくなくなり、描ける時代になった。
~中略~
河惣先生に「ありがとう」って言われたんですよ。
BL作家ががんばって作品を描き続けてくれたおかげで、自分はようやく好きな者同士がくっつく話を描くことができるって。

こだか:BLはキャラの見てくれも大事だけど、キャラが一途かどうかも大事だよね。
よしなが:“一棒一穴主義”だよね(笑)。
こだか:そうそう。それはね、<攻>キャラはある意味、読者の理想だからなんだと思う。
この人と定めたらブレない、そういう一穴主義に徹するキャラにしないと、読者からのウケも悪い。
よしなが:それまでさんざん遊んできたような人たちが簡単に<受>にメロメロになるでしょ。
そのうち絶対浮気するから、って思うんだけど、しない(笑)。
こだか:そこに乙女の夢が入ってくるんですよ。


第4章 三浦しをんその2「やおいは男同士でなくてもいい」
三浦:BL作品を読まずに、「男二人の関係が書いてあればBLなんだろう」とイメージしている人が多い
~中略~
よしなが:私の『大奥』という作品だって、BLだって言うひとはいるんですもん。
三浦:えーっ!?それはどういう理解なんですかね。
よしなが:よく知らない人にとっては、男同士の同性愛行為が1回でもあったらBLなんでしょう。
~中略~
私にとっては、『西洋骨董洋菓子店』はBLではない、ただゲイの人も出てくる少女マンガなんですが、
読者さんからのおたよりで「BLなのに恋愛が中心じゃなくてとっても面白かったです」とか感想をいただきますから。


よしなが:私や友人たちの言うやおいっていうのは、セックスをしてない、つまり恋愛関係にない人たちを見て
その人たちの間に友情以上の特別なものを感じた瞬間に、これはやおいだと名づけるわけ。
二人の関係が性愛に踏み込んでいたら、それをやおいとは言わないんです。
そういう人たちの間柄を妄想して、創作物の中でセックスさせていることもやおいというから、
世の中の人たちはやおいというものをごっちゃにしていると思うんだけど。
~中略~
三浦:性別ではなく、人間関係の在り方がポイントってことですよね。
~中略~ テーマは「孤独と連帯」なんですよ。
よしなが:まさに(笑)。それこそやおいの本質ですよ。


三浦:よくオタクの人は、キャラクターに擬似恋愛をしているから現実の恋愛に意識が向かないんだと言われますが、
私はそれってちょっとちがうとおもうんですよね。
だって、擬似恋愛してます?
よしなが:萌えの気持ちのドーパミンが恋愛しているときと似てないかと言われれば、似てると思う。
(でも、)妄想するドーパミンのほうが、恋をしているよりもはるかに多くでてるはずなの。
だから、中毒になっちゃう。
妄想のほうが快楽としての純度が高いんですよ。


字数制限に引っかかったので、②へと続きます。