走るジジイの独り言

本音と妄想入り乱れて、独自の世界観で書き残す

私論 忠臣蔵

2019-05-14 13:56:41 | 日記
タイトルは大変厳めしいのだが、内容はお気楽なものです。 皆さんご存知の忠臣蔵ですが、少し視点を変えると、面白い。 浅野内匠頭が江戸城松の廊下にて人情に及び、その後、切腹、赤穂藩お取り潰し、そして、有名な討ち入りになるわけだけど・・・・・ これが最初から仕組まれた、テロ行為だと考えれば、結構辻褄が合う。 まず最初に、通説に対して大いなる疑問がある。

浅野内匠頭に対する吉良上野介いじめだが、これは有名であるが・・・?

多少は、老人の愚痴みたいなものは、あったろうが、直視饗応役の責任者が失態をすれば、吉良さん自身も責任を問われるはず。

それに、浅野内匠頭自身、今回が初めての饗応役ではなく12年ほど前にも勅使饗応役を仰せつかっているわけで、当然浅野家には前回の記録や、前回も当事者としてその任に当たった家臣もいるはずである。

それなのに、畳替えをするとか、服装がどうだとか、おかしくないですかね。

それに、内匠頭自身も前回の事を、忘れるにはあまりにも記憶力がなさすぎではないか。

つまり其処なのである。

私が言いたいのは、前回の記憶なのである。

人情沙汰に及んだきっかけは、12年前にあるのではないかと思うのです。

刃傷沙汰に及ぶ12年前の出来事は我々の想像以上のものがあり、幕閣や将軍家に対する反逆を計画していいたように考えれば、その後の赤穂、幕府の動きも分かりやすくなる。

12年前の出来事については、どの様な事かは、分からないが、最初から松の廊下にでの刃傷沙汰は、計画されていたのではないか、そう考えると面白い。

それゆえ、急激に人情に及び、本来なら止められる事のない、状況作り出せたのだろうが、わざと梶川氏の近くで止められるよう、行ったのではないか。
大石内蔵助と示し合わせ、いずれは江戸における集団テロ行為を起こす事を、前提としての人情沙汰と考えれ納得がいく。

人情沙汰に及んだ後も、冷静に、決して気がふれたのではなく、藩お取り潰しも覚悟の事と、内匠頭は言上したのではないか。

だからこそ、赤穂藩では武勇に優れた浪人者を多く仕官させ、あらかじめ戦闘準備?をしていたのではないか。
それゆえ、松の廊下では吉良上野介を殺さず、生かしておき、長きにわたり苦しめ、テロ行為に及んだ方が幕府や将軍家に与えるダメージが大きいと考えていたのではないか。
こう考えると、討ち入りが失敗したとして、幕府でのお膝元での、集団テロ行為ともなれば、上野介氏の責任追及、幕閣及び将軍家の威信低下は避けられない。

その事は、幕府も理解していたので、屋敷替えを行い、江戸の中心部から遠ざけたり、上杉家に対して,けん制するような態度を取っていたのではないかと思われる。

幕府としては中途半端な失敗より、本懐を遂げて、武士の誉れと称えた方が、受けるダメージが少ない。

こう考えると、大石内蔵助の鮮やかな、城明け渡し、藩札交換など一連の動きも納得できる。

私の想像ですけど。


コメント
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