goo blog サービス終了のお知らせ 

「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

天武天皇の皇居、倉吉市の賀茂神社に行ってきました

2018-08-03 12:30:16 | 蘇我氏から倭国滅亡まで
1  倉吉市の賀茂神社周辺の神社と遺跡
 第8代孝元天皇は北栄町大島に伊邪那岐命・伊邪那美命を祀って、第9代開化天皇(倭建命)は征西が成功し伊邪那岐命・伊邪那美命に神助を謝した(宮崎神社由緒)のだが、倭国の天皇家は伊邪那岐命・伊邪那美命を祀っていた。

2  倉吉市の賀茂神社
 左に行くと二階建ての立派な社務所がある。神社は石段を上がった高いところにある。

 天武天皇の皇居があったと言われてもおかしくないような広さと威厳がある。

3. 伊邪那岐命が言った「素戔嗚命は海原をおさめよ」(古事記)について
 倉吉の住吉神社の案内板に「往古この一帯が入江であった」とあるので、この一帯が入江となる(海抜20m)海岸線を引いてみました。紀元前200年頃は縄文海退が進み(海抜4m)青いところは原になっていた。しかし、以前は海だったのでこのあたりを「海原」といっていた。大物主がやって来た時は「海」を照らしてきた、と表現し「海原」と区別している。


最新の画像もっと見る