1 鳥取県中部(倭国)の三徳山と泊瀬の斎宮
鴨一族(事代主をリーダーとする百八十神)は国譲り(紀元前160年頃)で磯城(東郷池周辺)に移っていたが神武4兄弟が居なくなって(紀元前70年頃)から、一部は出身地の葛城に帰っていた。役行者は葛城出身の鴨一族という。
2 三徳山(鳥取県三朝町)
三徳山の投入堂
三徳山三仏寺本堂
三仏寺の輪光院
投入堂にあった蔵王権現像
三徳山の宝物殿に役行者像があったのだが、日本遺産登録の記念行事があるので、貸出されてなかった。以前、吉野山の金峯山寺に行ったときに写した役行者像で代用します。鬼神を使役するのは道教である。
3 泊瀬の斎宮(鳥取県倉吉市)
右の打吹山(泊瀬の山)のふもと(賀茂神社)に天武天皇の皇居があった。
大御堂廃寺は広場になっている。右の建物はパークスクエア。山は打吹山(泊瀬の山)、麓の賀茂神社に天武天皇の皇居があった。
僧房(修行する者の寄宿舎)が2棟あった。天武天皇・大来皇女・役行者・長屋親王は、一年半この僧房(修行する者の寄宿舎)に寄宿し仏教・道教(格義仏教)の修行をした。南半分は中部総合庁舎側(松ヶ坪遺跡)にあった。
ここでは、仏教だけでなく、道教も教えていた。道教の混ざった格義仏教である。修験道は仏教と道教が混在したものである。
奈良の寺院などとの関連が指摘され、大御堂廃寺を地方寺院と言うが、こちらが都であった。