旅行最終日。
今回の旅のメインイベント、
150分の軍艦島クルーズ(上陸・周遊)に出かけます。
長崎港から南西に約19キロの沖合に位置する「端島(はしま)」。
草木のない岩礁に過ぎなかったこの島の周りを、
6回にわたって埋め立てる形で護岸堤防の拡張を繰り返し、
現在の島の形になったそうで、
もともとは3分の1ほどの大きさだったそうです。
島には、日本初の鉄筋コンクリート造りの
高層集合住宅(テレビ・冷蔵庫・洗濯機付き)が建設され、
最盛期には5300人の人々が住み、
当時の東京都の9倍もの人口密度だったそうです。
島全体を囲む岸壁と高層アパートが建ち並ぶその外観から、
「軍艦島」と呼ばれるようになったそうです。
島の建物は、日々、自然劣化がすすんでいて、
この日本最古の30号アパートは、
いつ崩れてもおかしくないくらいだそうです。
このあたりも崩壊が激しいです。
赤いレンガ造りの建物は総合事務所で、
中には炭鉱マンのための共同浴場もあったそうです。
管理職の社宅
他にも小中学校・病院・寺・神社・郵便局・理髪店・商店や
プール・映画館・パチンコホールなどの娯楽施設も設置されていたそうで、
映画に関しては、少し封切りが早いので、
長崎からわざわざ観に来る人もいたそうですよ。
島には、木陰もトイレも自動販売機もなく、
2班に分かれての団体行動で、
お天気の急変や急病人が出たら、
上陸することなく引き返しますということだったので、
終始、無事に上陸・周遊出来る事を願いながらのクルーズでした。
『軍艦島上陸証明書』
日本の近代化産業を支えた貴重な遺産。
自然劣化がすすむ中、
今しか見られない軍艦島の姿を、
しっかり目に焼き付けました。
長崎稲佐山の中腹にあるおしゃれなホテルに到着!
突然ですが、
この画像!
これ・・
wacciの「誰ニモマケズ」のMVなんですが、
なんと、この日宿泊するホテルからの眺めにそっくりだったんです!!
なので、ホテルに到着するやいなや、
この画像をホテルのスタッフさんに見ていただき、
3・4人ものスタッフさんを巻き込んで、
この映像が撮影されたと思われる場所の目星を立ててもらい、
日没まで探し回ったんだけど、
良く似た所はあるものの、結局見つけられませんでした(泣)
4年くらい前に撮影されたMVですもんねぇ~、
この場所が、当時のまま残ってる方が奇跡でしょうね!
スタッフの皆さん、
こんなしょうもない事に付き合っていただいて
ほんとうにありがとうございました。
そして、日も落ち、
ホテルから稲佐山の展望台に移動して、
長崎港を囲むように輝く1000万ドルの夜景を楽しみました。
この日は少しもやっていて、絶景とはいえなかったけど、
これでついに、昨年の函館の夜景に続き、
「日本旧三大夜景」を制覇しました!!
壮大な雲仙普賢岳を眺めたあとは、
長崎市内に向けて、車を走らせました。
途中、日本百選にも選ばれている棚田や、
一面に広がる赤土の畑など、
珍しい風景を眺めながらの移動となりました。
この石積みで区分けした赤土の畑では、ジャガイモが栽培されるそうです。
長崎県は北海道に次ぐ全国有数の馬鈴薯の産地だそうで、
表面が薄赤に色づくのが特徴のここの馬鈴薯は、
「愛の小町」というブランドで出荷されているそうです。
市内に着くと、
中華街で食べ歩きをし、有名な眼鏡橋を見学して時間を潰し、
福山雅治さんおすすめの「思案橋ラーメン」を食べに・・・
というか、wacciのけいじ君が、
先日のツアー長崎でツイッターにあげていたので
行ってきました(笑)
「バクダンチャンポン」
「バクダン」とは、すりおろしニンニクのことで、
チャンポンの中央にどっさりのっかっています。
つづく・・・
旅行2日目・・・
この日も朝早くから動き回りました。
平戸八景のひとつ「眼鏡岩」へと向かったのですが・・・
道路の案内表示とナビは不親切で、分かりづらく、
車を近くのスーパーに止めて、
徒歩で歩きまわりましたが、それでも見つからず
たまたま居合わせた地元の方に尋ねてやっと辿りつきました。
暑い中歩き回ったかいあって、
そのダイナミックさに感嘆し、
緑のある風景に癒されました。
遠い昔、一帯が海だった頃、
波の浸食によって造られたそうです。
続いて、雲仙地獄に向かい、
極暑に・・地熱に・・熱風の水蒸気・・・
まさに地獄でした(笑)
きなこもちと温泉レモネードで、休憩したあとは、
雲仙普賢岳へ
雲仙ロープウェイで1333メートルの妙見岳へ登ると、
すぐ目の前にあの普賢岳と平成新山を眺めることが出来ます。
山頂の夏は平均気温21~22℃と過ごしやすいのですが、
最後はやはり自分の足で登り詰めないとダメなので、
膝はガクガクで、やっぱり暑かった(笑)