前の続きです。
明日香、石舞台古墳へ行きました。
入り口付近の日陰に黄色っぽい彼岸花が咲いていました。

入り口を入ると案内板がありました。

遠くから全体を見たものです。
ボランティアガイドさんの説明によると方形で何段か盛り土してあった上にこの石舞台があったと写真入りの資料で見せていただきました。
そう思って見てくださると段があるのがお分かりになれると思います。

そのアップです。
人が寝ているように見えました。
うまい具合の石を並べたものだと思いました。

ぐるっと回ってみることにしました。

反対側です。
こちらが正面なのかお花が供えてありました。

中へ入る入り口です。

石舞台の中です。
天井が高く案外明るかったです。
石、ひとつひとつがすごくおおきいのに驚きました。
重機もない古代の人がどのようにしてこの山の中に運んだのかと興味津々でした。

中に入っていた石棺の復元だそうです。
人が軽く3人は入れる幅で高さは結構ありました。
副葬品などを入れたので大きいのでしょうか。
この中で蘇我馬子は永久の眠りについたのでしょう。

何かの本で古代の太陽信仰について読んだことを思い出しました。
春分の日&秋分の日の太陽の通り道に神社とかこのようなものが作ってあるそうです。
見事にそれらが一直線に並んでいるということです。
三重県から和歌山県淡路島まで続いているそうです。
なぜなのかなぞだそうですがこういうものを目の当たりに見ると不思議とそういうこともありと思えてきました。
死後は西方つまり太陽の沈む方向にいくと考えられていたそうですのでこの石舞台はどちらを向いているのか気になりました。
方向音痴なので影から推測すると東西に長いのではと思いました。
ひょっとするとという思いを抱きつつお昼ご飯の場所へと移動しました。
明日香、石舞台古墳へ行きました。
入り口付近の日陰に黄色っぽい彼岸花が咲いていました。

入り口を入ると案内板がありました。

遠くから全体を見たものです。
ボランティアガイドさんの説明によると方形で何段か盛り土してあった上にこの石舞台があったと写真入りの資料で見せていただきました。
そう思って見てくださると段があるのがお分かりになれると思います。

そのアップです。
人が寝ているように見えました。
うまい具合の石を並べたものだと思いました。

ぐるっと回ってみることにしました。

反対側です。
こちらが正面なのかお花が供えてありました。

中へ入る入り口です。

石舞台の中です。
天井が高く案外明るかったです。
石、ひとつひとつがすごくおおきいのに驚きました。
重機もない古代の人がどのようにしてこの山の中に運んだのかと興味津々でした。

中に入っていた石棺の復元だそうです。
人が軽く3人は入れる幅で高さは結構ありました。
副葬品などを入れたので大きいのでしょうか。
この中で蘇我馬子は永久の眠りについたのでしょう。

何かの本で古代の太陽信仰について読んだことを思い出しました。
春分の日&秋分の日の太陽の通り道に神社とかこのようなものが作ってあるそうです。
見事にそれらが一直線に並んでいるということです。
三重県から和歌山県淡路島まで続いているそうです。
なぜなのかなぞだそうですがこういうものを目の当たりに見ると不思議とそういうこともありと思えてきました。
死後は西方つまり太陽の沈む方向にいくと考えられていたそうですのでこの石舞台はどちらを向いているのか気になりました。
方向音痴なので影から推測すると東西に長いのではと思いました。
ひょっとするとという思いを抱きつつお昼ご飯の場所へと移動しました。