このブログの読者の方は、子供の頃どんな遊びをされただろうか?
僕が小学校低学年の頃は、けいどろ、色鬼、鬼ごっこ、缶けり、だるまさんが転んだ、野球ゲーム盤、ドッジボール、縄跳び、ゲームウォッチなどで、小学校高学年の頃は、ガンダムごっこや野球、サッカー、ファミコンをして遊んだ。
今の時代の子供はこういった遊びを外でやるのだろうか?もしかしたらゲームボーイとか任天堂3DSとかで遊んでばかりいるのではないだろうかと危惧してしまう。
僕は今回日本に帰国した際、JICA時代の同期の家を訪ねた。その様子は当ブログでも記事として書いたが、その際に7才になるブラジル人と日本人のハーフのJちゃんとボードゲームの「人生ゲーム」をして遊んだ。
「人生ゲーム」をしたのは、もう何年振りだろうか?僕の家にもこのボードゲームはあって、9、10歳頃までは遊んだ記憶がある。つまり、約30年ぶりに遊んだことになる。
プレーヤーは僕の同期であるSさん、その娘さんのJちゃんと僕の3人である。ルーレットを回して、出た目の数だけ駒を進める。
まずは職業が決められるのだが、Jちゃんは医者になって高給取りとなり、僕はフリーターという職業になり、前半戦はかなりの貧乏生活を強いられる。(フリーターという職業があること自体、今時だが.....)
しかし、ゲームも後半になると、Jちゃんは職業がフリーターに変わり、一気に人生が悪い方向へと急展開した。逆に僕は医者に転職し、徐々に人生に明るい兆しが出てきた。
結局、Jちゃんが急に気分が悪くなったということで、終了直前でゲームは中断されてしまったが、僕はこの「人生ゲーム」に大いなる人生哲学を見たような気がした。
子供の頃に遊んでいた時の感覚とは全く違う。
人生はいい時もあれば悪い時もある。どれだけサクセスストーリーを歩んでいても、一瞬でお先が真っ暗になる事もある。
いい時にも驕ることなく、悪い時にも自己嫌悪に陥ることなく、常に平常心で人生の荒波を乗り切る。人生に起こるすべての事象は中立(ニュートラル)なのだと。
その点については、僕の座右の書「ユダヤ人大富豪の教え」にも書かれている。
ただ、僕は日本語教師の視点から、この「人生ゲーム」は授業に使えるなと思った。漢字にはふり仮名がついているし、人生で起きるあらゆるイベントをみんなで楽しみながら勉強できるからである。
少なくとも、中級以上の学習者には使用可能かなと思った。それほど高い物でもなかったので、日本から買って帰ろうかとも思ったが、重量制限などのことを考えて、今回は購入を見送った。
次回、中級学習者を受け持つ事があれば、買って帰りたいと思う。
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