~専門学校での恋愛模様~
専門学校は二年間。
一年目が終る頃、お昼にて。
私たちのグループは、いつも4,5人でお昼を食べていた。
A子「実は、言っておかなきゃいけない事があるのよ」。
私「なに?」
A子「ある男の子と半年前から付き合っているのよ」。
私「・・・えっ・・・誰と?」
A子「この広い教室の誰かと」
私「えっー!! 今もいる?」
A子「いる」。
私「私としゃべった事、ある?」
A子「多分あると思う」。
私「・・・えっ・・・誰だろう・・・」
専門学校では
お笑い芸人みたいな男の子とスッゴク大人しい女の子が
クラスも違うのに妙に仲がいい。
ひとめみて
誰が見ても
男がグイグイ来ているのが分かった。
その子だけあだ名で呼んだり
廊下で話したり。
女子は顔は可愛い。
でも、ただの友達。
そう、思っていた。
まさか付き合っていたなんて。
それは偶然、馬車道あたりで見かけてしまった。
手と手をしっかり繋いでいたカップルだった。
又ある日、
先生のほうから「よく、会うわね~」
私は一礼した。
気さくな先生だなぁ。
横浜のシャル。
最後、
先生のほうから
「ねぇ、ねぇ、聞いて、聞いて!
今日は▲▲の誕生日なのよ。
デパートで買い物。
いっぱい買っちゃったわよ~」
横浜のシャルから改札口まで。
私は高校・専門、常にサボタージュ。(サボるの意)
横浜のシャルでよくANAの先生と会ったのよ。
偶然に何回も。
バツが悪いのは私のほうで。
基本、シカトした。
でも先生のほうから「ごきげんよう」と一礼した。
・・・えっ、私!?
“ごきげんよう”だって。
あとは日本人で女性。
元・ANAのスチュワーデスで明るい先生。
・スチュワーデス
・キャビンアテンダント
・「CA」なんてピンと来ない。
一番わかりやすいのは、私はスチュワーデス。
昔は背の高さが158㌢以上って言うのが頭の中にある。
スチュワーデス→専門学校の先生ってよく聞いた職業の名前。
もう一人元・JASのスチュワーデス→専門学校の先生もいた。
機上を降り、地上の人となる。
いい転職先だと思う。
授業で印象に残っているのは、
ANAの飛行機が落ちてしまい、同期が亡くなってしまった話。
その時だけは先生、泣いてた。
私の印象では外国人の先生って、
フラットでズバッと言っても傷つかないように見えた。
外国人の先生ってなんかいい。
私なんか突然帰るクセがあって
いつも突然「私、帰ります」って言う、と
外国人の先生が「バ~イ」と言う。
時に笑いに変える力を持っている。
主に雑談。
・オーストラリアのどこ出身ですか?
オーストラリア人の先生「マイケル・ジャクソンは▲デス。ブラックカラ、ホワイト二ナリマシタ」。
一同、爆笑。
時に、個性的な男性のイギリス人の先生ともお茶をした。(女性達、5~6人)
この人はちょっとシリアスで、ちょっとだけニコラス・ケイジに似てるのよ。
時に、外国人の教師たちだけでペラペラ流暢な英語を喋っていた。
いつも同じメンバー・3人の外国人男性、1人女性外国人。
いつも同じ喫茶店。
放課後、
オーストラリア人の先生がいて(ちょっとイイ男なのよ)
よく女子生徒たちが(15人~20人)
「ティーチャー! ティーチャー!」(黄色い声援)
オーストラリア人の先生「オチャデモ、シマショウ」と言って
近くの喫茶店で私は30分程、お茶したっけ。
長い子はもっといた。
一時間位かな??
いつもイッコのお菓子と
アイスティー、アイスコーヒー等でお茶したのを思い出す。
私が10代の時、
専門学校の時に通っていた。
電車は赤い電車、京急。
京急で京急川崎まで。
アゼリアがあって。
これは個人的なコトなんだけれど、
京急の印象って
乱暴な運転・クネクネな道、カーブが多く、たまに気持ち悪くなり、それでもすっ飛ばしていく。
怖いっ。
やっと『京急川崎』に到着すると、ホッとした思い出です。
専門学校は国際秘書科。
専門学校は面白かった。
当時、友達が京急電鉄・ 品川に勤めてて。
品川駅から徒歩1分、KEIKYU(大手)。
生麦駅にも友達がいて、この人はたぶん、いまでも仕事に通ってます。
SNS 上司と繋がり SOS
SNSってなんですか?
イマイチわかんない。
私はブログしかやってません。
基本、繋がりたくありません。
そうえいば
妹たちも繋がりたくないって言ってたなぁ。
家族だけでいいって。
私もそう思う。
これから台風に備えます。
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