ゆきちゃん通信++tomiの日記++

自閉症の娘、由紀子の毎日と
母の生活を綴っています。

進路の報告

2004年12月28日 | ゆきちゃんの日記
今日は主治医のA川先生のところに受験の報告に行きました。 

先生にはとても心配をおかけしてしまいました。 

発表から4日、
私の気持ちの整理もついたので
先生にお話をしたことをここにも書いてみようと思います。 
 

受験をした附属養護学校の不合格の通知が届いた時には、
やはりショックでした。 

島に住んでいる時から、
大学の附属養護学校ならば、
きっと専門の先生に最先端の療育(教育?)を
していただけると思ってずっと目標にしていましたから・・・。 
 

この学校の卒業生の多くは、
自分で交通機関を使って自由に外出をしたり、趣味を持ったりして、

私が描いていた由紀子の将来の理想の姿に近い生活をされています。 


由紀子もこの学校に通えば、
もしかしたらそんな自立ができるかもしれないと単純に考えて、
この学校に通わせようと心に決めてずっと頑張ってきました。 

小さい頃の由紀子は
自閉症の症状も軽度で社会性もあるように見えていたので
大丈夫だと思っていました。 
 

でも、思春期を迎える頃になると
自閉症特有のこだわりが強くなり、
いろいろな刺激に過敏に反応して自傷行為をしたり、
電車にも乗れないようになって
外出することすら嫌がるようになって来ました。 
 

もしかしたら私が理想としていた自立は
難しいかも知れないと思い始めた時から
私の中で少しずつ不安が芽生えてきました。 
 

グループで活動することを主にして、
いろいろな自立活動を進めている
この学校の教育方針を知れば知るほど、
私の不安は大きくなっていきました。 

学校の中で楽しそうに活動をしている
他の子どもたちの姿を見るたびに

同じ自閉症でも由紀子とはタイプが違うことを感じて、
もしかしたらこの学校は
由紀子はあっていないのかも知れない・・・、
入学できたとしても途中で挫折したら、どうしよう・・・と、
不安はどんどん大きくなっていきました。 
 

でも、そんな不安を抱えているのに、
私は最後まで受験をやめるといえませんでした。 

もしかして入学できたら・・・
この学校の教育にうまく乗れたら
由紀子の中の新しい可能性が芽を出すかもしれない、
そして、また以前のように
自由に街が歩けるようになるかもしれない・・・

そんなかすかな期待をしてしまったのです。 
 
でも、受験の時に
そんな私の不安の部分を見抜かれていたのかもしれません。 

結局、由紀子は学校にあっていないと判断されました。 
 

最初の話に戻りますが、
通知を開けた時には確かにショックを受けましたが、
その直後に感じた気持ちは
不安から開放された安堵感でした。 

受験の前に大村市にある公立の養護学校を見学に行ったときに、
いい学校だと感じていたのが救いになりました。 
 

こちらの学校は最近できた学校で、
学校の内部が構造化されていて、
自閉症の子どもにはとても楽な作りになっています。 

在校生の数は小中高合わせて200人余りという
マンモス校ですが、
一クラスは6人程度です。 

知的障害の軽度から重度までの子どもたちが在籍しているので、
必然的に個別の指導がされます。 

きっと、由紀子のこだわりや長所を
見つめた教育をしていただけると思っています。 
 

ただ、こちらの学校に行くためには引越しが必要です。 

由紀子の学校に対する気持ちの切り替えはできていますが、
長崎で2年間かかって築いて来た
生活を変えることにはとても未練があります。
 
新しい土地でまた1からやり直しです。
(ノ_・、) うるうる 


まずは家探しです。 


=END=
コメント
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