昨日はとうとう日記をかけないまま
終わってしまいました。
ちょっと気持ちの整理を付けてから
書こうと思って・・・
実は、昨日
長崎の由紀子の精神科の主治医のところへ行って
大きな決断をしてきました。
由紀子が小学校に入学する前から
お世話になってきたA川先生から離れて
地元の病院へ転院をすることになりました。
ずっと日記を読んでくださっている方は
私と由紀子にとってA川先生がどんなに大きな存在か
分かっていただけると思います。
その先生も高齢になられて・・・
以前から自分が引退するときまでに
次のドクターを探すように言われていたのですが
私は先生が引退される時まで
由紀子を診ていただこうと思っていました。
でも、五島から両親を引き取ることになって
今まで通りの生活は少し無理になりそうです。
私に時間がなくなるのは確実です。
長崎まで通院するのには
半日以上の時間を費やさなければなりません。
それに、私の体力のこともある・・・
先生とお話をするうちに
やはり、もう地元の病院に
転院するべき時期が来ているということになりました。
本当は、これからの生活の厳しさを考えたら
先生には助けていただきたいという気持ちが強いですのですが・・・
心細い!!
(´⌒`。)グスン
でも、最後に
「カルテが無くなってしまうわけではないから
なにかに困ったらいつでもいらっしゃい。」
と、言っていただきました。
それに、今
由紀子がとても落ち着いて生活ができるようになっています。
やはり、この時期が転院のチャンスなのかもしれません。
転院先は、以前から探してあった病院に
お願いをすることにしました。
来月、紹介状を書いていただいて
正式に転院をします。
また、新しい道が由紀子と母の前に
開けてきました。
これから、いろいろあるけど・・・
頑張ろうと思います。
(`・ω・´)シャキーン
===過去の日記===
ゆきちゃん通信 No11
をアップしました。
私が子宮筋腫の手術を受けるために
五島から海を超えて
長崎の病院に3週間の入院をしました。
由紀子が生まれてから
初めて長期で離れてたのですが
その後に感じたことは・・・
「私がいなくても
由紀子は死なないんだ!!」
と、言うことでした。(笑)
由紀子にとっても、私にとっても
いい経験だったと思います。
母子分離の一歩を踏み出したときの記録です。(笑)
=END=
終わってしまいました。
ちょっと気持ちの整理を付けてから
書こうと思って・・・
実は、昨日
長崎の由紀子の精神科の主治医のところへ行って
大きな決断をしてきました。
由紀子が小学校に入学する前から
お世話になってきたA川先生から離れて
地元の病院へ転院をすることになりました。
ずっと日記を読んでくださっている方は
私と由紀子にとってA川先生がどんなに大きな存在か
分かっていただけると思います。
その先生も高齢になられて・・・
以前から自分が引退するときまでに
次のドクターを探すように言われていたのですが
私は先生が引退される時まで
由紀子を診ていただこうと思っていました。
でも、五島から両親を引き取ることになって
今まで通りの生活は少し無理になりそうです。
私に時間がなくなるのは確実です。
長崎まで通院するのには
半日以上の時間を費やさなければなりません。
それに、私の体力のこともある・・・
先生とお話をするうちに
やはり、もう地元の病院に
転院するべき時期が来ているということになりました。
本当は、これからの生活の厳しさを考えたら
先生には助けていただきたいという気持ちが強いですのですが・・・
心細い!!
(´⌒`。)グスン
でも、最後に
「カルテが無くなってしまうわけではないから
なにかに困ったらいつでもいらっしゃい。」
と、言っていただきました。
それに、今
由紀子がとても落ち着いて生活ができるようになっています。
やはり、この時期が転院のチャンスなのかもしれません。
転院先は、以前から探してあった病院に
お願いをすることにしました。
来月、紹介状を書いていただいて
正式に転院をします。
また、新しい道が由紀子と母の前に
開けてきました。
これから、いろいろあるけど・・・
頑張ろうと思います。
(`・ω・´)シャキーン
===過去の日記===
ゆきちゃん通信 No11
をアップしました。
私が子宮筋腫の手術を受けるために
五島から海を超えて
長崎の病院に3週間の入院をしました。
由紀子が生まれてから
初めて長期で離れてたのですが
その後に感じたことは・・・
「私がいなくても
由紀子は死なないんだ!!」
と、言うことでした。(笑)
由紀子にとっても、私にとっても
いい経験だったと思います。
母子分離の一歩を踏み出したときの記録です。(笑)
=END=