ブッタの方便として弟子達が体系化した十如是は「相、性、体、力、作、因、縁、果、報、本末究境等」と語られるので、わたしもその方便で語ります。
まず宗教改革の「相」についてですが、これはもう自然の流れのような気がします。
物質的進歩が極地に達して綻び出した人類社会にあって、その「心」を支える宗教が旧態依然のままで良いハズはなく、地球を救う使命に目覚めて人類を一致団結させるコトこそが、真の宗教の役割と認識される必要性があります。
次にルネッサンスの「性」について語りますと、それはどうしても「女性改革」である必要性があると思います。
これまで男性が作り支配して来た宗教はもう古くて用を成さず、人類社会を平和へ導く力も、平等で進歩的な社会を実現する力もありません。
これからの時代をリードするであろう女性の「体」は柔らかで、その柔軟な思想の宗教によって世界は一つに成れるかと思います。
「体」は国や組織を示す言葉でもあり、多くの国家や会社で女性が指導権を握れば、地球ルネッサンスの進行はグッと速まると思います。
その改革をもたらす「力」は、男性社会が築いて来た地球環境を破壊する「死の経済」から、地球を甦らせる「命の経済」への移行から得られる「力」で、具体的に言えばそれは人類と微生物との共生レベルの進化と言えるでしょう。
前世紀中葉に生まれた共生微生物学は「マイクロバイオーム」として発展を続けており、もう微生物との共生を抜きにして農業も医療も環境も語れない時代になって来ました。
これは人の心にも「作」を与えると思え、目に見えない微細な世界に神々が棲むコトを実感したならば、細かいコトにも感謝して生きられる様になるかと思います。
ここでルネッサンスの「因」に話を戻しますと、宗教改革の試みは人類の歴史を通して行われて来ており、それ故にかくも多くの宗派が誕生したと言えます。
しかしそうした新興宗教も時の流れによって廃れゆき、また新しい信仰形態が「縁」によって生まれ来ます。
その「果」は人類に平和と希望をもたらすべきで、子々孫々までも善き「報」は伝えられて行き、いつしか「本末究境等」をこの世に現すと説く宗教こそが最も進歩的だと思います。