真の動物福祉牧場を目指して

闘争の路線

 前回、近未来に於ける「闘争の60年代」を描くとしましたので、その路線について語らせて貰います。

 まずは「闘争の60年代 (日本編)」の路線を活かしたく思い、実際に北京の天安門広場を100万人もの学生達が占拠した’89年の運動も、日本の「闘争の60年代」からの影響を強く受けていました。

 当時の日本の学生運動がセクト(党派)に分裂してしまったのは、アメリカと中国の「闘争の60年代」の影響を強く受けたタメで、当時は今ほど留学生が多くはありませんでしたが、それでも「インターナショナル」を唱えて世界の学生運動との連帯を図りました。

 60年代アメリカの学生運動は、黒人の「公民権運動」とヒッピーの「反戦運動」から強く影響されており、それらと連帯しながら「大学の自治」を求めました。
 わたしは「いちご白書」と「アトランティスのこころ」を読みましたが、その「闘争の路線」は日本のそれよりもずっと芸術的で、流石に「60s」の歌が世界を席巻しただけのコトはあります。

 一方で、日本の「闘争の路線」にも光明がさした例はあり、それは「水俣病闘争史」に描かれています。
 この本はまだ池澤夏樹の紹介文しか読んでいませんが、近未来でも同様の環境保護闘争が繰り広げられると思われるので、それに勝利した「闘争の路線」は大いに参考になりそうです。

 「反戦運動」については、やはり池澤夏樹の「カデナ」がとても美しい日米の若者達の連帯を描いており、そこでは「60s」の歌も大いにフィーチャーされています。
 ひるがえって現在の日本の学生達に、反戦運動を展開するほどの「闘争の路線」があるとは思えず、せいぜい「民青(共産党系学生組織)」が駅前デモを行うくらいで、戦争から逃れたウクライナやロシア、パレスチナやイスラエル、シリアやミャンマーなどの若者達を匿うような運動までは期待できません。

 60年代の日本の学生達にはそうした運動を行える「熱量」があり、それはセクト主義からの「闘争の路線」によってもたらされた面もあります。
 中には当時の文化大革命を支持する「毛沢東主義」などの愚かなセクトも在りましたが、吉田拓郎の「流星」で「たとえば僕が間違っていても 正直だった悲しさがあるから…」と歌われているように、それは当時の学生運動に特別な熱量を与えました。
 
 長くなったので物語で締めますと、近未来の2060年に北京の天安門広場と中南海一帯を占拠した運動は、市民と学生達の連帯によって大きな熱量を生むとします。
 そこには少数民族や農民工の活動分子、日本の留学生や台湾の工作員までが加わって、’89年に得られなかった勝利を今度こそ人民にもたらそうと闘争します。
 
 

 

 

 
 
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