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「ノスタルジック'69」と「waltz」

 椎名林檎が「無罪モラトリアム」でデビューした翌年、もう1つの日本を代表するサイケデリック-バンドが「The Gratest Hits」でデビューしました。

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RENOTE [リノート]


 デビューアルバムでいきなり「グレーテスト・ヒッツ」とは型破りですが、それだけの価値はあり実際に大ヒットし、一気に世界的なアーティストへと駆け上がりました。
 特に中華圏では人気が沸騰し、ラブサイケは「愛的魔幻」と呼ばれました。

 このデビューアルバムから一曲あげるとしたら「ノスタルジック'69」で、一番サイケデリックです。
 1969年はサイケデリック-ムーブメントの絶頂期で、ピンクフロイドの「原子心母」がその筆頭に上げられます。

 この年については村上龍の「シックスティー・ナイン」でも描かれており、'81年生まれの私には体験できなかったヒッピーカルチャーを伝えてくれます。
 そこで龍は富士ロックフェスティバルに主賓として招かれたピンクフロイドと会い、彼等に大麻やLSDを提供して友達に成ったコトを大いに自慢しております。

 「原子心母」はプログレッシブ-ロックの金字塔とされるアルバムで、どの曲も非常にノスタルジックですが、特に「If」は東洋大学のギターサークルの講演会で弾き語りしたので思い出の曲です。

 「waltz」も同じ舞台で弾き語りし、ラブサイケの勢いに負けないくらい大声を出しました。 当時私は21才で、今思い出すとかなり恥ずかしいのですが、恥を誇りにする若者でした。

 前置きが長くなったので物語には少しだけ入りますが、流河(ルーガ)はロック好きの「少年」から「'60s」を教わり、そのノスタルジーにすっかりハマります。
 クルーザーでの毎夜のパーティーでは専ら「'60s」が掛けられ、外国人旅行者を招待して大麻やLSDも提供し、ウッドストック'69でトリを飾ったジミヘンの「ヘイ・ジョー」などを爆音で流します。

 この「愛的魔幻」なパーティーは、「党」から弾圧されて鬱屈していた香港の若者達の為に開き、「女子革命突撃隊」への参加を希望する若者も多く現れました。
 その中には「民主の女神」と呼ばれたアグネス-趙の様な「女子」もおり、彼女も流河のパーティーに参加するとします。
 
 
 
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