真の動物福祉牧場を目指して

食べるコトと働くコト (3)

 この「セラヴィ(これが命さ)」シリーズも3回目となり、これまで主に自然科学的なアプローチで語って来たので、今回は人文社会的なアプローチにします。
 
 まずはやはり格言からとし、「その仕事で食っていけるのか」という常套句から論じます。
 なるほどこれは深い警句で、好きな仕事で食っていければ最高ですが、多くの人は「食っていく為に働いている」と言えそうです。

 「いや、わたしは生き甲斐として仕事をしている」と言えれば最高ですが、家族を持って子供を育てるとなると、なかなか理想通りは行かないモノです。

 わたしは独り身なので「食べる為の仕事」は最小限で済み、したいと思う仕事に傾注できるのは幸運なコトと思います。
 また、「食べるコト」がタダになる仕事も多くやって来ており、農業はもちろん介護もアットホームな所では利用者さんと一緒に食事し、これは民宿の仕事やボランティア、お寺の住み込みなどもそうです。

 お寺(日本山)では「食べるコト」を切り詰める修行(断食)をし、インドでは托鉢もよくやりました。
 仏教を大切にする国で僧侶が飢えるコトはまずないとされ、それは台湾、ネパール、スリランカなどでも実感できました。

 日本山は住職さんによってストイック(厳格)さがだいぶ異なりますが(インドに十寺、アメリカに五寺ある)、中には毎月の初めに3日間断食を行う所もあり、そこでは「食べないコト」が仕事になります。
 断食には前回紹介したオートファジー(細胞の消化・代謝)を高める働きがあり、「食べるコト」の意味を改めて見つめ直すキッカケにもなりました。

 「食べるコト」はもちろん「生きるコト」を意味し、わたし達が生きる意味は「働くコト」にあると思います。
 そのコト(職業)に貴賤はないという考え方も正しく思え、政治家よりも農家の方がずっと偉い社会が理想的に思えます。
 
 これについてはピート・シーガーが「Farmer is the man」(’50s アメリカ)で歌っており、そこでは「農民は収穫の秋まで借金で食いつなぐ」と詠われ、「利子はとても高くて生きれて居られるのは不思議なほど」とされながらも、「商人やプリーチャー(牧師や政治家)やみんなを食べさせているのは農民だ」と謳われています。

 これは実際にその通りであり、現代農業は大きな食品流通網の一部とされていますが、農民はその最前線の1番ハードな仕事を担っているので、「働くコト」として1番意義が有ると言えます。
 しかし一方で農業はマーケット(市場)に支配されてしまう性質を持ち、これが日本の農業を画一的な「安けりゃイイ」の方向に導いたコトは否めません。

 しかし時代は常に「風に吹かれて」変化しており、日本でもSDGs目標として10%を有機農業に転換するというゴールが設定されました。

有機農業 2万5000ha 10年で5割拡大 農水省

農林水産省はこのほど2020(令和2)年度の有機農業の取組面積をまとめた。過去10年で約5割拡大した。

農政

 このゴールは、日本の既成農家さん達の間では「とてもムリ」と言われていますが、欧米の農業は既にこの方向でブレークスルーしているので、そのうちに日本でも新しい農業が広まるコトでしょう。
 
 それは有効微生物群(EM)を活用した有機農業で、これ以外の有機農業が成功した例をわたしは見たコトがありません。
 それくらいに有機農業では菌が重要で、大規模でやるのに古いアナログな菌ではリスクが大き過ぎます。
 
 わたしの1番の仕事はこうした「新しい農業」を情報発信するコトだと思っており、次回からは物語でそれを描いて行きます。
 
 

 

 

 
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