この本題に入る前に、まずはここ数日間の旅路をザッとに振り返らせて貰います。
ムㇲタンからポカラへと山を降り、そこの仏舎利塔でまた1日半ご修行させて貰って一昨日カトマンドゥに戻って来ましたが、まずはポカラでの話からします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/bb/e8455cee082ef1a935806185e124123a.jpg?1713006002)
まあお陰でカトマンドゥ行きのバスの中では良く眠れ、お馴染みの崖崩れで足止めをくって到着は深夜になり、バスターミナルの近く(タメル)の行き付けのカジノで朝まで打って2000ルピー勝ちました。
今度のご修行は本堂に座って大太鼓を撃ち唱題するのをメインにし、大勢の観光客に南無妙法蓮華経を聞かせられました。
ほとんどの人は本堂を素通りして仏舎利塔だけ観て帰りますが、中には本堂に座って一緒に太鼓を叩いてくれる人もおり、フランス人の団体とカナダ人女性は南無妙法蓮華経に興味を持たれたのでその心を伝えられました。
あと、英語があまり通じないので解説は出来ませんでしたが、ネパールの年輩の人達も熱心に団扇太鼓を叩いてくれ、彼等はチベット仏教の「オーㇺマニペメフム」を解するので、それと同義と伝えて7拍リズムで交互に唱えました。
クリスチャンの人に対しては「アーメンハレルヤ」を織り交ぜて唱えて、ムスリムの人には「ラーイラッハインアンラー」、ヒンドゥーの人には「オーㇺヒングバトゥカヤナㇺ」と、色んなマントラを唱えるご修行になりました。
しかしずっと座って唱題していると眠くなるので、近くの山の頂きに行って昼寝してから、そこで夕暮れ時まで団扇太鼓で唱題しました。
自然の中ではネイティブ-アメリカンの「ホーㇺミタコヤシン」とアフリカの「マナエランヴィータㇽムントゥー」がマッチし、7つのマントラを7拍のビートで唱えられえ世界の宗教を1つに出来ました。
ポカラでは出発前にバスターミナルの裏のスラム街で地元のオッチャン達と一緒にロキシー(粟の蒸留酒)を飲み、チャン(マッコリと同じ)を少し引っ掛けるつりだったのがシコタマ飲まされてしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/cb/c170a3303905ece8c964e8bd808b274d.jpg?1713005975)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/bb/e8455cee082ef1a935806185e124123a.jpg?1713006002)
まあお陰でカトマンドゥ行きのバスの中では良く眠れ、お馴染みの崖崩れで足止めをくって到着は深夜になり、バスターミナルの近く(タメル)の行き付けのカジノで朝まで打って2000ルピー勝ちました。
因みにポカラでもカジノに2泊して4000ルピー浮いたので、これまでのトータルはマイナス6000になりました。
そこ後カトマンドゥに2泊したので、やはりブッダナートの仏舎利塔に泊まりホテル-ハイアットで打ちましたが、ちょっと熱くなりすぎてマイナスは2万を越してしまいました。
これにはクレジットカードを使い慣れてしまったコトも関わっており、ネパール-ビザを1ヶ月更新するのに90ドルをATMで下ろしたのですが、その流れでカジノでも8000ルピー(最低額)を引き落としてしまいました。
カジノについてはもう十分に話したので良いとしてビザの話をしますと、インド-ビザはラウンド-トリップ(行き帰り)の航空券を買わないと取れず(旅行代理店に頼んでも3週間かかる)、昔は簡単に陸路で行き来できたのに随分と不便になってしまいました。
航空券は Trip.com で色々とサーチした結果、1ヶ月後の5月14日にカトマンドゥから香港へ飛ぶのが1番安いと割り出せて、インドへはビザ無しでも何度かネパールから行き来したコトがあるので、今回もそれで行こうと決めました。
目指すのはシッキムのダージリンで、この紅茶で有名な地には馴染のお寺もあり、今回はそこのお上人さん(ネパール人も幾人か居る)と一緒に有機農業100%となったシッキムを平和行進したいと思っています。
今回のカトマンドゥ滞在ではこの旅のプランを定める他に、MDプレーヤーとカセットを北海道に研修生として行く青年に託したり、郊外に新しく建設中の仏舎利塔を見に行ったりしました。
パシュパティナートにも夕暮れ時には毎日入り浸って、それは数多くある祠で地元の人達のボンの輪に加われるからですが、真面目にオームを長い一息で唱え続けている祠にも入り浸り、そこのグルと親しくなりました。
彼(スニル)はわたしよりも歳下ですが永年ずっとパシュパティナートに住んでおり、この聖地の主と言ってよい存在でした。
他にもサドゥーは大勢居ますが、 スニル君ほど真剣に修行している人は他に居らず、彼の周りにはそうした真剣な修行を求める若者が集まっていました。
スニル君はなかなか英語も達者で、パシュパティナートを流れる川が汚染されて生物が死に絶えたコトを嘆いていました。
そんな死の川を生んでいる街を彼は蔑んでおり、昔は川が綺麗で命に溢れていて、子供達はそこで「本当の幸せ」を味わえたと言っていました。
スニル君の目から見るとカトマンドゥの人々はみんな不幸せで、それが彼を祠に住まわせている理由のようでした。
しかしいつの日かこの発展途上に共通する死の川も、日本やタイやマレーシアの様に微生物技術によって蘇り、人々は「本当の幸せ」を思い出せるだろうと励ませました。