それは純粋に山が聖なる土地だからで、下界は争いや疫病の蔓延る穢れた土地と考えられています。
これは実際に山地で暮らせば実感でき、ヒマラヤの7000m級の山々に囲まれた土地では争いも疫病もまず発生せず、人々は年に一回沐浴するだけで十分に衛生を保てています。
ムㇲタンはそうした古いチベット文化が残っている貴重な土地で、そこでは服の汚れすら「聖性」の現れと見なされ、高地の強い日差しは人々の顔をまっ黒に日焼けさせますが、選ばれしラマはお寺に籠って生活して白い肌を保っています。
日本人から見ると古いチベット文化圏ではラマが多すぎるように思われ、知的に優れた彼等が子孫を残さないコトは発展の妨げになると考えられ勝ちですが、平和な社会を築く上で優れた者達が競争から降りるコトには、大きな意義があるとも考えられます。
ラマは子孫を残す競争からは降りますが、精神的に進歩する競争は行われており、そこには「ブッタの教えを実践して広める」という方針も定まっています。
そうしたラマが敬われているムㇲタンは平和な土地で、500ドルも払わなければ入れない秘境エリアではコロナの蔓延も防がれたそうです。
しかし外国人でも3000ルピー払えば入れるエリアには多くの観光客が訪れており、毎月の新月の日にはヒンドゥー教徒がヒマラヤの水源を奉った寺院や川辺に押し寄せて来てお祭り騒ぎになります。
この水源は標高3800mのムクティナートという聖地に在り、ここは古いチベット村のカグベニよりもずっとツーリスティクに発展しています。
ここはアンナプルナ-トレッキングの終着地もしくは出発地でもあり、わたしはここから標高5000mくらいの峠まで登りましたが、カグベニから登り始めてお祭りもジックリ観てから登ったので、向こうから峠を越えて降りて来るトレッカーとしか会いませんでした。
わたしは前日にティリ-トレッキングで道無き道をアタックし、強風で低体温症になりそうになって下山しましたが高地順応は出来ていたので、ちゃんとしたルートを登るのは楽勝で一気に峠まで行けました。
トレッカーは殆どが欧米人で、その多くがネパール人のポーター兼ガイドを雇っていましたが、3人組のイスラエル人は大きな荷物を担いでおり、そのヒッピー-スタイルが異彩を放っていたので話しかけました。
彼等はやはり国を半ば捨てた流離い人で、戦争については話したがらず平和を願っていたので、その旅路に幸多かれと励ませました。
ムㇲタンの山旅はこうした多くの人々と触れ合えて充実し、旅のハイライトと言えるモノになりました。
最後に麓のリンゴ畑の写真を載せますが、わたしは麓の村々を歩き回るのが大好きで、道路を避けて田舎道をグルグル巡りながら登り降りしました。