この戦争はもう話し合いでは決着しそうもなく、終結するにはどちらかが破滅的な損害を被って屈服するしか無さそうです。
これはチベットと中国の歴史的な争いに於いても同様で、今はチベットが完全に屈服させられていますが、曾ては漢の都(西安)をチベットが制圧した時代もありました。
話を一気に近未来でのチベット蜂起に持って行きますが、そこでの和平交渉でもこうした過去の争いが持ち出されます。
人は親の影響を受けて育つので、親が戦うならば子も戦う宿命にあり、そうした歴史がチベットでは続いて来ました。
この和平交渉が破綻する宿命なのは、中国がチベットで行った「共産革命」を善いコトだとして譲らないからで、チベット指導層を根絶やしにしたこの革命は未だに中国では正当化されています。
しかし、指導層が漢族に入れ替わったチベット社会では、誇大妄想的な「大躍進政策」によって前代未聞の餓死者数を記録しました。
この大躍進時代のチベットについては「餓鬼」という本が深く追究しており、そこでは意図的に男達を餓死させた「断種政策」についても書かれています。
こうした「罪」を中国側に認めさせるのは非常に難しく、当時の人民解放軍兵士がチベットを「地上の楽園 (女性しかいない)」と表現した記録なども残っていますが、それについても党(ドン)は発展と進歩の為だったと正当化します。
しかし果たしてチベット高原は進歩発展したと言えるのか? ただ森林や鉱物資源が略奪されて中国人を富ませただけで、チベット人の持続可能な生活方式は破壊され、彼等には貧困と隷属しか残っていないのが現実ではないか?
結局「言論戦」では解決は望めず、戦いは最期まで繰り広げられるコトとなります。