まずは前回のおさらいから入りますと、「ギーターの夢」はみんながカルマ(宿命)を全うするコトで、それはカースト制度を擁護し不平等を正当化していると批判されますが、そもそも世界は「神の夢」で全ては平等だとも主張しております。
確かに、私達は誰もが少なからず「生まれつきの宿命」を背負っていますが、それを「不平等だ」と嘆くよりは「カルマを全うしよう」とポジティブに捉える方が明るい考え方でしょう。
「考え方」という題名の本は、経営者のカリスマとされる稲森和夫さんが書かれており、彼はそれを「才能」や「努力」よりも重要な成功へのファクターだとしています。
宗教や科学や文学も、煎じ詰めればみんな「考え方」を追究したモノと言え、人は「考え方」によって幸せにも不幸にもなります。
ここで少しその具体例を挙げますと、「貧しいインド人がなぜあんなに明るいのか?」という疑問に答える「幸せ草」についての、一つの「考え方」を紹介させて貰います。
ここでは「草」が「眠り」に大きな影響を与えるコトが書かれており、実際に草は「夢見心地」にしてくれます。
朝起きたら早速また「夢の中へ」(井上陽水)「ターン ミー ルーズ」(ボブ・マーリー)」する習慣のインド人も多く居り、彼等はずっと夢見心地で生きております。
「そんなんだから経済発展しないんだ」と言われればその通りなのですが、インドはとても暑い国なのでそんなに働けず、果物は有り余るほどタダで手に入るので、のんびり夢の中で遊ぶ生き方が賢いのかも知れません。
なんだか元も子もない話になりましたが、「ギーターの夢」は煎じ詰めればそうしたルーズ(放棄)を追究しており、それが印度哲学の真髄かと私は思います。
こうした「ルーズな考え方」が、それとは真逆の考え方が主流の日本で支持されるコトは興味深く、それは行き過ぎた物質的発展に対抗するカウンター・カルチャーの高まりと考えられます。
人類がみんな先進国の様な物質的発展を目指したら、地球がパンクしてしまうコトは明らかになって来ましたので、ここらで精神的発展に「考え方」が移って来たのは進歩的とも捉えられます。