少林寺は世界に雄飛する事で現代にも法灯をともし続けている、唯一の中国仏教宗派かと思います。
このホームページのコラムはとても充実しており、気功についてなども勉強になりましたが、大躍進時代の歴史までは語られておりません。
古代史の話は沢山あるのに、近現代がスッポリ抜け落ちている感があり、それは中国共産党との確執の歴史を今でも総括できないからかと思います。
少林寺は国を正す教えを持って歴代皇帝を門下として来て、清朝も少林寺に帰依しており、正に中国第一の繁栄を遂げたお寺と言えるでしょう。
そんな一大宗教勢力と、共産党が衝突しない訳はなく、そもそも宗教団体は全て解体させられたので、共産主義 vs 宗教各派の対立があった事は確実であり、少林寺には宗教勢力をまとめ上げる役割が期待さたと思えます。
五台山には共産革命から逃れて来た資本家や知識人達を匿う義理があり(彼等は檀家)、少林寺は特に広く門戸を開いていたので、多くの難民を受け入れたコトでしょう。
そうした人々は皆一様に落胆しており、先祖が子孫の為に築いた富を全て奪われ、中には喜んで富を分配した者も居たかも知れませんが、結局は党に裏切られて弾圧され、絶望して五台山に逃れました。
行善は彼らの悩みと苦しみに深く共感し、そうする事で自らの気を彼等に共感させる技(外気功)を用います。
行善はこの技で人気を呼び、彼は少林寺でも有数のヒーラーとなります。
しかしそんな五台山にも共産革命は襲って来て、少林寺僧の抵抗も虚しく制圧されてしまいます。
沢山あるお寺は労働改造所となり、一切の宗教的な思想は排撃され、僧侶達は改造されて行きました。
こうした非道は許せないとして立ち上がったのがモンゴル騎兵であり、愛新覚羅傑もこの解放戦争に加わりました。
彼はまだ初参兵でしたが、勇敢な戦いぶりと運の強さが認められ、彼と一緒に居れば死なないと周りに感じさせました。
行善と傑はこうして出会い、似た境遇の同年代として親しくなります。
行善は外気功により傑の心のしこりを解きほぐし、傑は隊を率いるまでに成長します。
「収」はここまでとして、次は農村が舞台の「郷(シャン)」に進みます。