彼女の中国語はまだ子供レベルでタドタドしいのですが、それも編集者である徳流河(ドゥルーガ)の計算づくです。
ーー 今日は、私の子供の頃からの友達波斜(パーシャ)を紹介します。
彼は小さい頃から、自分は回りの男の子たちと、どこか違うと感じていて、外を駆け回って遊ぶよりも、部屋の中でオママゴトをするのが好きな男の子でした。
パーシャが自分はゲイだと判ったのは高校生の時で、好きな男の子が出来ましたが、その気持ちは伝えられませんでした。
彼はユダヤ系でしたが、ユダヤ教もロシア正教も同性愛は「悪魔の仕業」としていて、パーシャはずいぶんと悩まされました。
そんな彼を救ってくれたのはインドの宗教で、「ハレ・クリシュナ」という20世紀後半から欧米に広まった宗派でした。
この教団には有名なビートルズのジョージ-ハリスンも入っていて、パーシャはハリスンのファンにも成りました。
彼は二十歳の時に、アルバイトでお金を貯めてインドへ行き、ドップリと2年間も「ハレ・クリシュナ」の暮らしをしました。
この教えの経典は「ギーター」といい、「人はそれぞれのカルマを全うするのが一番大事」と教えています。
パーシャは自分のカルマを活かす道を見つけ、すっかり明るくなって帰って来ました。
ロシアではまだ同性愛は犯罪ですが、ゲイの人は他の国と同じくらい居て、みんな悩んでいるのでパーシャは彼等を救う仕事に着きます。
「ハレ・クリシュナ」の聖職者に成ったパーシャは戦争が始まってからも、街中で太鼓を打って歌って踊り、暗い世の中を明るくしようと努力しました。
でもやっぱり捕まってしまい、最初はすぐに出られましたが、懲りずに踊り続けていたので、ついには10年も刑務所に入れられてしまいます。
それでも彼は信念を曲げずに、刑務所の中でも手を叩き歌い続けました。
私の友達もたくさん刑務所に入れられましたが、みんなそこでパーシャの歌に大いに励まされたと言っています。
ロシアの刑務所を明るくするパーシャの闘いは、戦場での闘いよりも勇気が要るかと思いますが、この「若き聖職者」ならばきっと見事に殉教して、そのカルマを全うしてくれると信じます。 ーー
これはあくまで話の大枠で、実際に子供の頃からパーシャと遊んで来たパールは、より深くエモーショナルに親友の肖像を刻み込みます。