1981年生まれの私の世代は、よく「団塊ジュニア」と呼ばれます。
これは、豊かさを求める競争に走った団塊世代の背中を見て育った世代で、そうした親の価値観に素直に従う子供と、私のように反抗する子供に両極化した世代と言えます。
反抗的な子供たちが積極的に海外へ出て行った世代でもあり、私の頃は世界を放浪する若者の数がアメリカ人を抜いて日本人がトップに立っていました。
こうした「旅」は豊かさに対する価値観の変容をもたらし、それは現代の「Z世代」に近い価値観と言えそうです。
Z世代は「デジタル-ネイティブ」と言われますが、私達の世代もファミコンで育ったので一種の「コンピューター-ネイティブ」です。
インターネットが登場したのもちょうど思春期の頃で、その広大な「未知の世界への扉」に胸を高鳴らせたモノです。
「モノよりもコト」を重視する傾向もZ世代と共通し、物質的にはずっと満たされて来たので欲しいモノなどあまり無く、それよりも「本物の体験」を強く求める傾向があります。
そうした体験を発信するコトに「生き甲斐」を感じ、SNSはその場として非常に大きな意味を持ちます。
「デジタル-ネイティブ」は本をあまり読まないと言われますが、私は海外に7年居たので「日本語ノスタルジー」が強くなり、海外で手に入る日本語の本は片っ端から読みました。
日本では本が溢れているのでその価値を見失いがちですが、冬の北海道を一人で越す体験も何度かしたので、暖房の効いている図書館の有り難みも良く知っております。
本は大学時代もよく読み、通信学部の学生証(年間3万円)でも東京の大学図書館はみんな入れました。
私は当時から自分のテーマを持って深めていたので、浅い授業ではもの足らず専門的な本に傾倒する学生でした。
そのため「単位」というモノは一つも取りませんでしたが、サークル活動には5大学(東洋、東大、早稲田、学習院、立教)を股にかけて参加し、大学図書館の映画コレクションもヒマがあれば常に探求しました。
仕事については、都内のアルバイトは一通りやって(雀荘、パチンコ屋、コンビニ、飲み屋、引っ越し)、大学時代は新聞奨学生(朝日)もやりました。
社会人としては介護福祉の現場を10ヶ所も渡り歩き(延べ10年)、その道も一通り体験できました。
給料や待遇などはさして気にせず、あくまで社会を知る為に仕事を選んだので、農業の方に興味が移りそちらでも10年ほど働きましたが、職場はやはり10ヶ所に渡りました。
こうした「旅暮らし」のため40歳になってもまだ独身ですが、それをさして気に病まないのは海外でお寺暮らしを2年ほどしたお陰と言えます。
独身を貫く僧侶たちを観て来てその自由な生き方に共感し、人生の多様性を認められる様になったのもお寺(日本山、平和行進で有名)のお陰と思え、そこには悩みを抱えるZ世代の子等も多く来ていました。
彼等とは対立するコトもしばしばありましたが、そうしたコントラバーシー(議論の種、キンクスのアルバムタイトル)も私には成長の糧と成り、作家への道を歩ませてくれました。