これは権力志向の強い学生達にも見られる現象で、アメリカの名門高校で比較実験が行われ、以下の様に報告されています。
「そこでは成績の良い子たちは自分に自律性があると感じて、さほど野心もなく成績に鈍着しない生徒達をバカにする傾向がありました。
これは自分自身に対する憎しみと表裏の関係で、本来の自分を愛さなくなると、他人をこきおろし、卑しめ、苦しめたりすることで、他人の中に見る「本来の自分」を罰して、快感を覚えます...」
これはパワーエリートと分かちがたく結びつく心理で、心理学者アルノ-グリューンは「多くの人がそうした見せかけだけの人間に従ってしまい、公共の場、政治グループ、新興宗教集団など、どこにおいても真実を語り、困難を問題にする人には従いません。そういった人に不安を感じるからです。真実を知るのが怖いのです。」と語ります。
更にグリューンは、パワーエリートの心理を以下の様に分析しています。
「見せかけばかりで生きている人間は、他人に認められようとして、どんなことでもします。 人間関係は、すべてこのための場になっています。 そこには本当の人間関係などなくて、いかにも誠実そうな自分の見せかけを他人に納得させなければならないのです。 他人に対しても自分自身に対しても、本当の自分とは正反対の姿が本当なのだと説得せずにいられません。 偉くて、権力があって、何事もよく分かっていて、強く自信あふれる人物に見せかけるのです。 劣等感を隠すために、強くて自信あふれる人物の役割を演じる必要があるのです。 しかし誰にも気づかれてはなりません。 何よりも、自分自身が気づいてはならないのです。」
以上がパワーエリートである党幹部の性格としますが、北京の仏舎利塔で開かれた「中国史上に遺る合葬」に参拝した党幹部は、だいたいみんな80〜90代の高齢幹部で、同級生の高齢者たちが多くハンガーストライキで亡くなったので参拝したとします。
彼等は当然、自負たちの死が近いコトを知っており、パワーの衰えも隠せません。
そんなパワーエリートには人民の側との対話を求める下地があり、党と人民の代表たちが議論する場を設けるだけの力もありました。
まずは飲み食いタダの盛大な合葬(3000人余りが一緒に弔われる)の場で、高齢者どうしが気楽な対話を交わすところから、党と人民の議論は幕を明けるとします。