今日でロシアが開戦してから一周年になるので、それを物語に反映させてロシア人の亡命者を登場させます。
「北の亡命者」としたのは、ロシアが「大きな北朝鮮」になってしまったからで、そんな暗黒社会から逃れる人はどんどん増えています。
上のウィキページでは、イスラエルがロシア人亡命者を積極的に受け入れているとしていますが、そこも今はパレスチナ人との戦争が激化しているので、とても安住の地とはなりません。
他にロシア人を受け入れている国としては、トルコやカザフスタンなどがありますが、それらの国々はロシアとの協力関係が強いので強制送還される恐れがあります。
「北の亡命者」は大多数が知識人で、ある程度は資産を持っていますが、反戦活動で指名手配されると資産凍結されるので、先進国で暮らすのは難しくなります。
私が描く亡命者(女性)もそんな苦労を重ねた末に、着のみ着のままでモンゴル草原を越えて、遊牧民のサポートで中国までたどり着きます。
中国はロシア人に対して寛容な国なので、彼女は国境を上手くゴマかして通過出来たとします。
不法滞在をするに当たっては、外国人が多くて目立たない観光地が良く、大理か敦煌かの二択になります。
彼女は暑くてやたらケバケバしい大理よりも、涼しくて大自然に囲まれた敦煌を選びます。
ここで彼女の亡命の背景を語りますと、それは彼女の姓を告げるだけで多くの人が鮮明に理解します。
彼女の祖父は宗教界の最高栄誉賞を受けた作家で(ノーベル賞も)、反体制作家としては世界一有名なソルジェニーツィンだとします。
祖父は彼女にパールという名を授け、晩年は幼いパールを教育するコトを一番の生き甲斐としました。
パールは世界中を飛び回って公演する祖父に付き従い、多くの知識人から英才教育を受けて育ちます。
そんな彼女は特に中国語を勉強し、いつか中国の人々の為に本を書きたいと熱望する様になります。
それはロシアが中国よりも一足先に、共産党の独裁を打ち破って民主化を成し遂げられたからで、この革命をリードした祖父の思いと経験を引き継ぎ、中国の民主革命をサポートしたいと思います。
しかしロシアの民主主義は戦争によって破られてしまい、中国どころか北朝鮮のレベルにまで後退してしまいました。
パール-ソルジェニーツィンは言論の戦いの最前線に立ちますが、追われる身となって一旦は「砂漠のオアシス」に隠れます。
そこでパールは徳流河(ドゥルーガ)と出会い同志になるのですが、それについては次回に語るコトとし、今回は最後に彼女と似た境遇の実話を紹介しておきます。