しかし、そうして官僚になった者達の殆どが汚職に走ったので、テストに書いた美しい答えはその場限りだった様です。
「人徳とは何か?」を追究する学問が儒教と言えますが、やはりペーパーワークでは薄っぺらくて、「学聖の教え」に対する「愛」よりも現世の誘惑の方が勝った様です。
この「愛」は中国では「仁」とほぼ同義ですが、英語の「Love」とは少し異りそれが根源的に神のモノであるコトは前に述べました。
この「仁愛」と「博愛」は区別すべきですが融合も図られるべきで、儒教とキリスト教の融合は割合簡単に出来るかと思います。
実際に中国ではキリスト教徒の爆発的増加が起こっており、「神の愛を体現する」と云う博愛主義は共産党との折り合いに苦慮しながらも、ファシズムで暗い画一社会に風穴を開けております。
「宗教の融合」は秀祥のテーマでもあり、キリスト教の善い所を積極的に吸収して、仏教を進化させようとします。
宗教は時代と共に進化するべきで、古い殻に閉じこもった宗教は淘汰されるのが自然の摂理だと、秀祥は感得していました。
秀祥が率いる10人のパーティーがナヴァホの地に入って行った時は、「平和行進」のスタイルで祈りながら歩いて入り、人々に救世主の到来を告げます。
これは1人が太鼓を打ち大声でマントラを唱え、あとの9人が手拍子を合わせ一斉に唱えるスタイルです。
1人と大勢の声は「掛け合い」になって交互につながって行き、唱えるマントラの種類も豊富に取り揃えます。
私は「南無妙法蓮華経」の他に「オームマニペメフム」(チベット仏教)、「オームヒンドバトゥカヤナム」(ヒンドゥー教)、「アーメンハレルヤ」(キリスト教)、「ラーイラッハインアンラー」(イスラム教)、「ホームミタコヤシン」(ネイティブ-アメリカン)、「マナエランヴィータルムントゥー」(アフリカ諸教)などを唱えており、秀祥もこれらを自由にチョイスして太鼓のリズムで唱えます。
このリズムはゆっくりが善いとされ、3拍と4拍に分かれていて7音節のマントラならば何でも取り入れられます。
太鼓を打ってリズムとマントラをリードする役は交代でやりますが、秀祥は「平和行進」を教わった行善(ぎょうぜん)と同じく、朗らかな声で歌うように唱えてリードします。
このヒッピースタイルのパーティーによる「平和行進」は、白人支配によって歪められ閉鎖的になっていたナヴァホ社会に風穴を開け、ネイティブの太鼓も加わって盛大な平和行進に進化して行きます。