「ホピの予言」は秀祥がアメリカを訪ねた1981年には、ヒッピー文化の拡散によって世界的に知られる様になっていました。
日本にドキュメンタリー映画として紹介されたのは1986年で、その続編を作るプロジェクトもクラウドファンディングで行われています。
秀祥がこのウラン採掘に反対するホピ族の村を訪ねるのは必然で、それは彼女の故郷である東チベットでも中国によってウラン採掘が行われ、そこで働かされているチベット人はナヴァホ族と同様に肺ガンで苦しんでいたからです。
「ホピの谷」は広大なナヴァホ高原の中に在り、ホピは農耕民族で草食系、ナヴァホは遊牧民で肉食系なので、それぞれ異なる文化を築いていました。
ホピは「平和の民」と呼ばれましたが、ナヴァホは好戦的で白人と激しく争い、東チベットの優樹(ユーシュー)と似た運命を辿りました。
「ホピの予言」が平和主義者の間で有名になったのは、それが核戦争による破滅を予言していて、‘80年代は当にそうした危機が高まっていたからです。
核を廃絶するにはウラン鉱山を採掘禁止にするのが近道で、その活動をホピの伝統部落ホテヴィラに根を下ろしたヒッピー達は行いました。
この反核ムーブメントは今では下火になってしまいましたが、当時から参加していた日本山妙法寺は今でもホピとつながり地道な活動を続けております。
上のクラウドファンディングもその流れで、核廃絶を願う人々の聖地ホテヴィラをぜひ支援して頂きたいと思います。
秀祥も先ずはホテヴィラに落ち着き、そこで診療所を開きます。
彼女はまず抗生物質(青カビ)作りから始め、盲腸やライ、結核などの命に関わる病気を無料で治して行きます。
そんな彼女の元には藁をも掴む状態のガン患者も集まり、現代医学では5年生存率が6.8%とされる肺ガンの治療に秀祥は挑んで行きます。