宿泊先の ユインチホテル南城 で目覚めると外は雨模様でした。4Fのベランダからの景色も薄墨がかかったようです。
ホテルの名前になっている ユインチというのは、恵みや宝、豊穣が集まるところという意味があるのだそうです。
三日目はホテルより、沖縄南部観光へでかけました。
バスで出発の頃には曇りながら、傘のいらない天気になりました。
まずは、平和祈念公園へ、広い高台に平和祈念資料館・平和の礎(いしじ)があります。
平和祈念資料館
資料館をゆっくり見学したあとは、平和の礎の方へまわりました。ここには、敵、味方なく戦没者の名前がきざまれています。
沖縄戦で命をおとした親族をしのんで、外国の方も団体で来ておられました。
平和の広場の中央にある空間に「平和の火」のモニュメントがあります。
次は ひめゆり平和祈念資料館に、
動員された240名は、沖縄師範学校女子部と県立第一高等学校の生徒たちです。
彼女らが、看護要員として配置されたのは、沖縄陸軍病院。と、言っても40ちかくの横穴の壕に、粗末な二段ベットが備えられた施設です。
米軍が間近に迫った1945年6月18日夜、「解散命令」が出て生徒たちは米軍の包囲する戦場に放り出されたそうです。
生き残った高齢の方の話を聞き、壁面にかかった227名の遺影をながめ、胸が詰まる思いでした。
遺影のお顔を見るとあまりにも、あどけない少女の顔が多いのです。
ひめゆり部隊の他にも看護要員として働き、命を落とした十代の女生徒さんも、たくさんおられるとのことでした。
ぬぐえない戦争の事実を垣間見て、少し暗い気持ちになった一行でした。こんな悲惨な戦争を繰り返すようなことは阻止しなければという思いは新たですが、
私たち一市民にとって、何ができるのでしょう・・・・・・
大きな、おおきな宿題をもらった気分です。
少々、気持ちを切り替えて 琉球ガラス村 へ
ここでは、実際にガラス製品を作っているところを見ることができました。
溶かした材料に、ふ~っと、息を吹き込むと、薄青い色に変わりました。
これは、また別の花瓶を作っているところです。
ガラス工芸品の展示場もあり、びっくりするような値段がついている物もありました。また別の場所では、ガラス製品の即売もされていて、おもしろくながめてきました。
この日に昼食は 沖縄そば(ソーキそば)・・・これは、そばと呼ばれてはいますが、小麦粉でつくられているものです。おだしがきいていて、とてもおいしい!
写真を撮ることは忘れて食べてしまいました。以前に沖縄に来たときから、好きなものです。
ネットで画像をお借りしました
バスで那覇空港へ、沖縄支部の方に ニフェーデービル(沖縄語の、ありがとう)とお礼を言い、お別れしました。
↑ 沖縄空港のステンドグラスがきれいでした。
来年の全国歌会は豊橋での開催となりました。
JTA254便で名古屋セントレアに戻りました。セントレアからは名鉄電車に乗り、午後8時前最寄りの駅につきました。ジィジが迎えにきてくれました。
中身の濃い二泊三日の旅でした。少し疲れました~~