朝刊の「くらしの作文」という欄で、小松隆一さんの文を読んでいて、何とも懐かしい気分になりました。
お土産は、なぜかいつも一冊の本だった・・・に続く作者の小松さんは私よりお若い方だけれど、 「十五少年漂流記」 「宝島」 「三銃士」は、
三冊とも父が私にプレゼントした本と同じ!という偶然にびっくりでした。
中日新聞・8月5日 朝刊より
「十五少年漂流記」 は15人の少年が無人島に漂流して、力を合わせ生き抜くという、今となっては興味深い物語なのだが小学校低学年の私には難しすぎて、何年もあとに読んだ覚えがある。
「宝島」と「三銃士」は、一応すんなりと読むことができたが、今、振り返ってみると父は冒険ものが好みだったのか・・・
そして、どちらかというと三冊とも男の子向けの本だったような・・・
父が娘に与える本は、年齢より少し高度なものであったが私が、それで本嫌いになることはなかった。父の他にも本を与えてくれる大人が周りにいたから・・・それは、叔父であり、叔母の時もあった。
「小公女」・「アルプスの少女」・「小公子」は小学校の頃に読みふけった本でした。
大正生まれの少し取っつきにくい父でもあった。のところも共感でしたね~
愛情深い性格でしたが、子供心にも理不尽なことを言う・・・と思ったことも多々ありました。
「女の子は口笛など吹くものではない」とか、中学時代の私の歩き方(後姿)を見て「そんなに反り返って歩くな!」等など・・・
くらしの作文の、小松さんのお父様を追憶する文のおかげで、遠い子供の頃のことが胸の奥から湧きだしてきました。
存じ上げない、お方ですが、お礼申し上げます。
47歳で早世した父に、娘に対する思いを聞くこともなく過ぎてしまいましたが、今朝の投稿文のおかげで、しきりに父のことを思い出した朝でした。
時々思い出すのも供養でしょうね
お父さま 早かったのですね
私の父も54歳でした 子供が3人女ばかり
孫は男の子をと望んでいました
私の長男を抱く事が出来たのが 一番の親孝行だったと
やはり無口でしたね
父のことは普段思い出さないのに、この投稿文を読んで
急になのですよ。
本当に、思い出すことも供養ですね。
うちは長女の私の下に男の子が二人でした。
早世してしまい、大人になって父と話すことも叶わず、ましてや
孫を見せることもできませんでした。
投稿文のおかげで、父を偲ぶことができて、よかったと
思います。
良いお話を読ませてもらいました。
私も父との一こまを思いだして居ました。
いくつの時か、クリスマスにクルミ割り人形をかってもらったのです。
チャイコフスキーの作曲したあの物語にした子供向けの童話でした。
挿絵もとても華やかできれいな本でした。
とても大切にしていて、結婚しても、花嫁(?)道具と一緒に持ってきました。
今はもう子供たちも読んでたし表紙もボロボロなんです。
でも捨てれない・・・。
思いださせて下さってありがとう。
バジルさんもお父様とのことを思い出していただけましたか。
お気に入りの本、子供さんにまで読み継いだことは、お父様にとって
嬉しいことですね。
大切な思い出の物は捨てられませんね。
私も、平生は思い出さない父とのことを思い出し、それをきっかけに
次々と更に思い出しました。
父は、仕事の関係で、あまり家にはいませんでしたし、思い出に残るような事は
あまりありませんでした。
ただ、戦時、真っ最中でしたので、「国のために殉ぜよ」だけは、何時も言われていました。
それと、北海道十勝川での「魚釣り」は、よく付き合わされた事です。
この事は、私にとっては親孝行のつもりでした。
父の事を思い出させて頂いて有難うございました。
お父様のことを思い出されましたか?
子供の頃に親と共にやったことは、大人になっても心に
残っていますね。
お父様も、ご自分が好きなことを息子に教えることで、その楽しさを
味あわせたいと思われたのでしょうね。
お読みいただき、ありがとうございました。