テレビで神社やお寺で賽銭箱からお金が取られるその様子の監視カメラの映像を幾度と見る。
なぜだ?・・・「小銭でもよいから、お金が欲しい」のだ。いくら「入っている」かわからないのに、もしかして、ないかも知れないのに黙って持って行く、つまり窃盗だ。
むかし、小学生の頃こう言われたのを思い出す「そこらで立ち小便して、ミミズや蛙にかけると目が見えなくなるぞ!バチが当たる」と。
そんなこともあって、そういうときは周りに注意して、立ち・・・。お寺や神社から盗むのは「バチ当たる」ということを学んでいないのだろう。
ところで「ああ無情」のジャン・バルジャンは無宿で教会の泊めてもらい、ご馳走されたときの銀の食器を盗む。逃げて、途中で警官に止められ、教会の連れて行かれたが、司祭は「与えたもの」と答える。ここには「情のある」のをジャン・バルジャンは知る。
神主や住職が盗人を捕まえる、盗人は「ああ無情」となる。神主や住職の台所事情も知らず言うべきではないことで、「神も仏も信じない」今の世の世情では、極めておこがましい物言いだが、私は盗人にかかわらず「バチ当たり」を説くことではないだろうか。監視カメラは参詣、参拝の安全監視のためだけに。
「バチ当たり」で言えることを、もうひとつ。神社に参拝に詣でる政治家諸君「嘘をつくとバチが当たる」と信じないなら、行くべきでない。