関東大震災が起こってから、9月1日でちょうど100年が経った。この「記念日」を前にして、耳を疑う次のような出来事があった。このことが物議を醸している。
「8月30日の記者会見で、松野官房長官は記者から『政府として朝鮮人虐殺をどう受け止め、どのように反省しているのか』と質問されると、『お尋ねについては、政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらないところであります』と発言。
さらに31日の記者会見で別の記者から、防衛省に保管されている公文書の存在や、内閣府ホームページにある虐殺を認める記述などを根拠に、発言の意図と虐殺の存在に対する政府見解を追求された際も、『(報告書は)有識者が執筆したものであり、政府の見解を示したものではない』とし、改めて『政府内に事実関係を確認することのできる記録が見当たらない』と前日の見解を維持した。」
(Yahoo!ニュース9月5日配信)
官房長官の発言が政府の公式見解を示すものだとすれば、これは驚くべき発言である。関東大震災に際して、忌まわしい朝鮮人虐殺があったことは種々の記録文書によって確かな事実であると立証されているのに、これらの文書は政府の与り知るところではない、というのである。
この発言が責任逃れの意図から出ていることは明らかである。朝鮮人虐殺を証言する文書は、政府の関知するところではない、よって、朝鮮人虐殺は政府の関知するところではない、よって、朝鮮人虐殺について、その責任追及の矛先を政府に向けるのは、お門違いである、ーーこれが政府の責任逃れの論法なのである。
この「見ざる、聞かざる」の態度は、岸田内閣の政治姿勢をよく表している。先日、沖縄を訪問したときも、岸田首相はバスケW杯を観戦し、改修中の首里城を視察しただけで、県知事とは会談をせず、米軍基地を視察することもなく、(沖縄にとって最重要の懸案である)基地問題には「見ざる、聞かざる」の態度を貫いた。
自分にとって不都合な真実には目を閉ざし、耳を塞ぐ。これでは岸田首相がアピールしようとする「聞く力」もとんだ形(かた)なし、とんだお笑い種(ぐさ)である。
関東大震災の際の朝鮮人虐殺事件に「与り知らぬ」の態度を貫く岸田内閣の政治姿勢からすれば、米軍基地に対する住民の反対運動を報じるメディアの報道は「政府の与り知るところ」ではない、よって、米軍基地に対する住民の反対運動は「政府の与り知るところ」ではない、よって住民の反対運動を押し切って強行する辺野古沖の埋め立て工事は、「政府の与り知るところ」ではない、ということになる。
こうした岸田内閣の政治姿勢は、一般化していえば、「歴史修正主義」ということになるだろうか。岸田内閣の「知らぬ存ぜぬ」によって、関東大震災における朝鮮人虐殺事件はいずれ「なかったこと」になり、沖縄住民の反基地闘争も「なかったこと」になる・・・。
ま、まさか、フクシマ原発事故も「あれは、なかったことだ」などと言い出すわけではないでしょうな。
「8月30日の記者会見で、松野官房長官は記者から『政府として朝鮮人虐殺をどう受け止め、どのように反省しているのか』と質問されると、『お尋ねについては、政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらないところであります』と発言。
さらに31日の記者会見で別の記者から、防衛省に保管されている公文書の存在や、内閣府ホームページにある虐殺を認める記述などを根拠に、発言の意図と虐殺の存在に対する政府見解を追求された際も、『(報告書は)有識者が執筆したものであり、政府の見解を示したものではない』とし、改めて『政府内に事実関係を確認することのできる記録が見当たらない』と前日の見解を維持した。」
(Yahoo!ニュース9月5日配信)
官房長官の発言が政府の公式見解を示すものだとすれば、これは驚くべき発言である。関東大震災に際して、忌まわしい朝鮮人虐殺があったことは種々の記録文書によって確かな事実であると立証されているのに、これらの文書は政府の与り知るところではない、というのである。
この発言が責任逃れの意図から出ていることは明らかである。朝鮮人虐殺を証言する文書は、政府の関知するところではない、よって、朝鮮人虐殺は政府の関知するところではない、よって、朝鮮人虐殺について、その責任追及の矛先を政府に向けるのは、お門違いである、ーーこれが政府の責任逃れの論法なのである。
この「見ざる、聞かざる」の態度は、岸田内閣の政治姿勢をよく表している。先日、沖縄を訪問したときも、岸田首相はバスケW杯を観戦し、改修中の首里城を視察しただけで、県知事とは会談をせず、米軍基地を視察することもなく、(沖縄にとって最重要の懸案である)基地問題には「見ざる、聞かざる」の態度を貫いた。
自分にとって不都合な真実には目を閉ざし、耳を塞ぐ。これでは岸田首相がアピールしようとする「聞く力」もとんだ形(かた)なし、とんだお笑い種(ぐさ)である。
関東大震災の際の朝鮮人虐殺事件に「与り知らぬ」の態度を貫く岸田内閣の政治姿勢からすれば、米軍基地に対する住民の反対運動を報じるメディアの報道は「政府の与り知るところ」ではない、よって、米軍基地に対する住民の反対運動は「政府の与り知るところ」ではない、よって住民の反対運動を押し切って強行する辺野古沖の埋め立て工事は、「政府の与り知るところ」ではない、ということになる。
こうした岸田内閣の政治姿勢は、一般化していえば、「歴史修正主義」ということになるだろうか。岸田内閣の「知らぬ存ぜぬ」によって、関東大震災における朝鮮人虐殺事件はいずれ「なかったこと」になり、沖縄住民の反基地闘争も「なかったこと」になる・・・。
ま、まさか、フクシマ原発事故も「あれは、なかったことだ」などと言い出すわけではないでしょうな。
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