論語を現代語訳してみました。
公冶長 第五
《原文》
子謂公冶長。可妻也。雖在縲絏之中、非其罪也。以其子妻之。
《翻訳》
子 公冶長〔こうやちょう〕を謂〔い〕う、妻〔めあ〕わす可〔べ〕きなり。縲絏〔るいせつ〕の中に在〔あ〕りと雖〔いえど〕も、其〔そ〕の罪〔つみ〕に非〔あら〕ざるなり、と。其の子〔こ〕を以〔もっ〕て之〔これ〕に妻わす。
子 公冶長〔こうやちょう〕を謂〔い〕う、妻〔めあ〕わす可〔べ〕きなり。縲絏〔るいせつ〕の中に在〔あ〕りと雖〔いえど〕も、其〔そ〕の罪〔つみ〕に非〔あら〕ざるなり、と。其の子〔こ〕を以〔もっ〕て之〔これ〕に妻わす。
《 はじめに 》
論語〔ろんご〕には、多くのお弟子さんの名が出てきますが、孔先生の下に集〔つど〕ったお弟子さんの数は三千人以上ともいわれ、様々な人との出会いの中で、共に学んでおられたようです。
その中でも、顔回〔がんかい〕さんというお弟子さんについては、日本でもよく知られたお弟子さんのひとりでした。それは、戦前中の国民学校の国語教科書「初等科国語」 にも顔回さんが紹介されていて、私たちの祖父母〔そふぼ〕にとっては馴染〔なじ〕みの深い人物だったことが窺〔うかが〕えます。
顔回
さて、そんな多くのお弟子さんの中でも、とりわけ変わった人物がいました。その名は公冶長〔こうやちょう〕という人物です。その名もさることながら、公冶長さんは、鳥のことばを理解できたとして、つぎのような云い伝えが残っています。(『留青旧札』)
公冶長さんが貧〔まず〕しくて食べるものがなかったとき、一羽のスズメがやってきて、公冶長さんにつぎのように話されました。「南山〔なんざん〕にトラがヒツジを運んでいるぞ。お前は肉を、俺は腸〔はらわた〕を食おう。早く行け。」と。そこで公冶長さんは南山にいってみると、たしかにトラの食べ残しであろうヒツジがいたので、空腹から免〔まぬが〕れることができたのでした。しかし、そのヒツジを盗んだとして罪に問われ、縄〔なわ〕に縛〔しば〕られることとなり、牢獄〔ろうごく〕に入れられてしまうのでした。
すると、牢獄の窓辺にスズメがまたしてもやってきて、公冶長さんに、「隣国〔りんごく〕の斉国軍〔せいこくぐん〕が浙水〔きすい〕まできているぞ。」と教えました。驚いた公冶長さんが獄吏〔ごくり〕にそのことを告げました。この話が魯〔ろ〕の君主〔くんしゅ〕にも伝わり、早速使いを出して調べてみるとそのとおりだったので、魯軍が急襲〔きゅうしゅう〕して見事、大勝利できたのでした。
そこで、魯の君主は公冶長さんを釈放〔しゃくほう〕し、大夫〔たいふ〕の位〔くらい〕を授けようとしましたが、公冶長さんは、固くお断りになったのでした。
公冶長 第五
《現代語訳》
孔先生は公冶長さんについて、次のように仰られました。
彼ならば、娘の婿〔むこ〕として迎えてもよいほどだ。
かつて牢獄〔ろうごく〕で捕らわれの身となっていたことがあったが、それは無実の罪だったのだよ、と。
その後、公冶長さんは先生の娘さんと結ばれたのでした。
〈つづく〉
※ 関連ブログ 『学び、伝える』といふこと
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考
※ イラストは『かわいいフリー素材集 いらすとや』さんより