論語を現代語訳してみました。
泰伯 第八
《原文》
子曰、篤信好學、守死善道、危邦不入、亂邦不居。天下有道、則見、無道則隱。邦有道、貧且賤焉、恥也。邦無道、富且貴焉、恥也。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、篤〔あつ〕く信〔しん〕じて学〔がく〕を好〔この〕み、死〔し〕を守〔まも〕りて道〔みち〕を善〔よ〕くし、危邦〔きほう〕には入(い)らず、乱邦〔らんぼう)には居〔お)らず。天下〔てんか) 道 有〔あ)れば、則〔すなわ)ち見〔あら)われ、道 無〔な)くんば則ち隠〔かく)る。邦〔くに)に道 有りて、貧〔ひん〕にして且〔か)つ賤〔いや)しきは、恥〔はじ)なり。邦に道 無くして、富〔と)み且つ貴〔たっと)きは恥なり。
《現代語訳》
孔先生はまた、次のようにも仰られました。
〈人の道に生きる、そう〉堅く誓ったことを信念としながらも、さらに学問を深め、たとえ道半ばで果てようとも、最期の時がくるまで己の信念を貫き、邦〔くに〕に危機が迫っていても慌てることなく、やがて邦が乱れれば黙って立ち去る。
〈そのような信念であっても、〉世の民が安泰に暮らしているときは、自〔みずか〕らもともに安らぎを得、そうでないときは、自らもその憂〔うれ〕いをともにする。
よって、世の民が安泰に暮らしているというのに、貧しくし、且〔か〕つ、賤〔いや〕しくするは、恥じ(=信念に背く行為)である。
また、世の民が不安で落ち着かなくしているというのに、富を貯え、且つ、高貴〔こうき〕に振る舞うは、恥じ(=信念に背く行為)である、と。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
改めてこの語句を深く読み、その語訳をするにあたって強く感じたことは、論語を読み始めるときに、いきなりこの語句であったならば、おそらく私は、論語を避けていたのかもしれません。(難しすぎて…)
私が論語を読み始めたきっかけというのは、あくまで己自身の過去の反省(=償い)によるものであって、国がどうとか、政治がどうとかではありませんでした。ましてや、論語を読んで、何かしらのビジネスに繋げようなどと考えたことは、これまで一度もありません。
そうした意味において、「己を修め、人を治める道」としての伊豫田學先生の『論語一日一言』(靖国神社で購入)や、加地伸行先生の『論語』に関する多くの書物というのは、そんな私にとっては、とても有難い書物だったいうことでありますな。(感謝)
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考