◆「なぜ民主主義からナチズムが生まれたのか」 本書は、主としてこの10年のうちに発表してきた、ワイマル共和国における政治的暴力に関する研究をまとめたものである。序章で触れたように、本書の問題意識の根底にあったのは「なぜ民主主義からナチズムが生まれたのか」という問いかけであった。多くの研究に共有されてきた、この問いかけからは、しばしばワイマル共和国と「後から来たもの」の間の対照性や断絶性、あるいは共和国の悲劇性に目が向けられてきた。そうした論点が重要であることは言を俟たないだろう。しかし、誤解を恐れずに言うならば、その後の展開を前提にワイマル共和国の歴史を見つめるのではなく、将来が見えない段階としてこの共和国が置かれていた状況を分析し、そこから共和国が崩壊した原因、ないしはナチズムが抬頭した原因の解明に取り組むこともまた必要とされるのではないだろうか。本書につながる研究を行う際に、常に念頭に置いていたのはこの点であった。さらにもう一つ、先の問いかけを行う場合に避けて通れないのは、ナチスが多くの「普通の人びと」から支持されていたという事実と向き合うことである。それにしても、なぜナチズムがあれほどの人びとを惹きつけたのだろうか。この素朴な疑問に答えることは容易ではないが、選挙で投票するにせよ、党員になるにせよ、すべてがナチスの反ユダヤ主義や狂信的ナショナリズムに浮かれた人びとの行動であったというわけではなく、すべてをナチスによって操作された結果だとみなすこともできない。そうであるならば、こうした人びとを断罪するだけの善悪論に立つことなく、人びとがナチスを自ら主体的に選び取った理由を考えていくことも必要であろう。 ◇90年前、ベルリンの街頭・酒場 こうした問題意識を抱きながら、本書ではワイマル期ベルリンの街頭や酒場で、人びとが対立や連帯といった形で交錯し、諸党派が対抗あるいは競合していた状況を明らかにしようとした。警察や裁判の記録の一つひとつからは、あの時、ベルリンの片隅で、自分たちが住む街区や通りをめぐって、あるいは敵の集会場にまで乗り込んで互いに争っていた、ナチ党や突撃隊、共産党、国旗団、鉄兜団の無名のメンバーたち、さらには現場の警官や酒場の店主たちの姿が浮かび上がってきた。そこに感じられたのは、暴力を厭わない野蛮さや自己顕示、ある種のヴァイタリティ、そして90年前のベルリンの街頭のリアリティであった。それらを可能な限り伝えるため、本書では史料から明らかになる数多くの事件をできるだけ織り込み、当時のベルリンの状況を具体的に提示しようと努めた。 ワイマル共和国はドイツ史上初めて自由を基調とする社会を実現したが、それは生まれたてのドイツの民主主義にとって「諸刃の剣」となり、自由主義や民主主義といったワイマル憲法の理念を拒否する勢力が「自由」に暴力を行使する余地も残すことになった。もちろん、ナチズムに共鳴した人びとの大多数はこの暴力に与しておらず、投票用紙や党員名簿を通じて自らの意思を示そうとしていたが、そうした人びとが支持したのは、他ならぬ自らの暴力性を隠そうとしない政党であった。しかも、少なからぬ人びとが、ナチズムに内在するそうした暴力性とシンクロしながら、暴力的な街頭闘争に身を投じており、この点は多かれ少なかれ、共産党やその他の政治的諸団体にも共通していた。酒場に集い、武装し、街頭に繰り出し、プロパガンダの一翼を担い、そして政敵に対して暴力を振るう。ワイマル共和国では、それが日常の中で際限なく繰り返されていたのであり、本書が描き出そうとしたのは、民主的な憲法からはイメージできない、もう一つの共和国の姿であった。政治的な対立を暴力で解消しようとする風潮は、やがてナチス体制下で社会を覆っていくことになるが、それはすでに「政治的暴力の共和国」たるワイマル共和国に胚胎していたのである。 ◇ワイマル共和国史の重要性 ナチス政権成立からすでに90年近くの年月が経ち、戦後も76年目を迎えた現在、現代史研究の中心は第二次世界大戦後の時期に移りつつあるが、ナチズム(ファシズム)の問題が依然としてアクチュアリティをもつ中で、ワイマル共和国史研究はまだまだ重要性を失ってはいないし、これからも失うことはないであろう。ただ、あらためて見直してみると、これまでのわが国のドイツ現代史研究において、ワイマル共和国期を単独で扱った研究書は、意外にもそれほど多くはない。そうした中で、拙いながら、本書がワイマル共和国史への関心の高まりと研究の進展に少しでも寄与できることを願うばかりである。