「天国に一番近い男」と言われた登山家・山野井泰史 “ヒマラヤ最難”の巨壁との闘い
9/8(水) 16:00配信
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伝説のクライマー・山野井泰史の言葉に、人生の目標を探すためのヒントが見えた
TBSテレビ ドキュメンタリー「解放区」
世界的なクライマー・山野井泰史。未踏の巨壁にソロ=単独で挑むというスタイルから、かつて「天国に一番近い男」とも言われた。2002年には、ヒマラヤの高峰ギャチュン・カンの北壁に挑み、壮絶な登山の果てに生還したものの、手足の指10本を失った。その山野井が人生最大の目標と定めた巨壁がある。「ヒマラヤ最後の課題」と呼ばれ、世界第5位の高さ8463メートルの頂上に突き上げるマカルー西壁。超高所にオーバーハング(垂直以上に突出)した岩壁帯があり、その恐ろしいほどの迫力は、挑戦するトップクライマーたちの勇気をも打ち砕く。半世紀を経て蘇る巨壁との闘いを語る山野井に、人生の目標を探すためのヒントが見えた。
手足の指、凍傷で多数失っても「山から情報つかむ能力は自慢」
山野井泰史
今年6月、伊豆半島の、とある洞窟。クライマー・山野井泰史は、壁を相手に1人格闘していた。岩にかけた右足の靴は、左足よりも小さい。19年前のヒマラヤ登山の末に、凍傷で全ての指を失ったためだ。両手の指のうち5本も凍傷で失った。山野井は、壁のクラック(岩の溝)に、少なくなった指をねじり込み、何度も何度も挑戦を続けていた。 山野井は、10歳の時に山登りを始めて以来、3000回以上のクライミングを経験してきた。中でも山野井は、単独で登ることにこだわり、標高差が1400メートルある極北のトール西壁単独初登攀を皮切りに、世界第6位の高峰チョー・オユー南西壁新ルート単独初登攀など、「ソロクライマー」として世界の未踏の巨壁に挑み続けてきた。しかしソロは、最も危険なスタイルでもあり、多くのソロクライマーが登攀中に亡くなっている現実がある。「天国に一番近い男」と言われたこともある山野井が、なぜ生き残ってこられたのか。 「最終的には運とかいうけど、ものすごい場数を踏んでるし、山からの情報をつかみ取る能力は、一番自慢できると思う。」 「登山を始めているときから達観しているのは、生命あるものは簡単に失われるというのを子供のころから、やたら意識している。来週はこんな危ないところに行くんだ。もしかしたら一歩間違ったら死んでしまうかもしれない。それを毎週のように繰り返している。運動能力とは違うところで、瞬時に判断していく能力もこの時代に養ったのかもしれない。」 山野井は中学生のころから、岩登りにのめりこんでいった。高校時代に書いた手帳を見ると、毎週末の休みは岩登りに明け暮れ、このころから谷川岳一ノ倉沢などで「単独登攀」の記録も見られるようになる。高校卒業後は、登山家として生きる道を選んだ。その山野井が「ソロクライマー」として、人生最大の目標と定めたヒマラヤの巨壁がある。
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