どんぐり4粒 拾いて この季の秋を覚ゆ
季節もめっきり秋の装いです。運動公園の木々も
色変えて落葉し、あの夏の濃緑は何処。
その1に続き2をアっプします。
祭り取材が1番で、御朱印が2番目の目的でした。
2寺社の御朱印を頂きました。
祭りの大本 例大祭の川越氷川神社の御朱印は書置きでした。
記念の特別版で¥500¥です。
続いて喜多院の御朱印は直書きで大変趣きを感じるものです。¥300でした。
今年の祭りのPOPです。駅で自由に入手しました。
本年はこれで県内の4祭を踏破しました。
7月 白岡市 新田の天王様
8月 朝霞市 彩夏祭
8月 越谷市 南越谷阿波踊り
10月 川越市 川越まつり
そして H27年7月 久喜の提灯祭り、H28年7月 熊谷のうちわ祭り
の6大祭りを取材経験しました。
昨日10/20日曜日「川越まつり」を取材しました。
埼玉県の三大祭りのひとつだそうです。
熊谷うちは祭り、川越まつり、秩父夜祭りです。
このうち、ブログ人は熊谷、川越そして久喜の提灯祭り、南越谷の阿波踊りが取材し
4大祭りですぅ。
また関東三大まつりは、埼玉川越まつり、千葉佐原の大祭、茨城石岡のおまつりだそうです。
さて、初日と打って変わって好天気で街の賑わいは想像を遙かに超えたものでした。
川越駅は県下でも有数の人口と活気ある大都市です。
11時半JR川越駅に降りた時から人人の中、祭りに向かう人の群れは、誰も期待で胸膨らませ
祭りの太鼓がひゅひゅらひゅと聞こえます。でもお腹はグーグー!!!
改札を出るのに5分超を費やし、その混雑感は凄まじいものです。さて、
祭り会場の案内に従い、蔵つくりの通りを目指しました。過去数度平時に川越散策経験が
あり、すんなりとメイン街通りに到着、屋台のブースの数は数えきれない数で圧倒される。
画像は東武線本川越駅前です。ここの先が蔵の街通りのメイン会場です。
ブログ人は屋台が不得手でモール街の丸広で腹拵えして取材に。
13時前に山車が渡御しだした。江戸の街並みを残す蔵通りに8m高の山車が数基。
合計18町の山車が渡御するようだ。山車の周辺は外人さん、カメラマン、見物客等々で
てんやわんや。こういう名前の漫才コンビがゐたっけ。昔のTVで見ました。
全長2㎞超の蔵通りの先端札の辻交差点に1時間余要して到着。休憩、はぁ~。
ここから市役所、裁判所の建物を横に、木製の日本最大級の大鳥居が見えた。
ここが祭りの拠点、川越氷川神社で祭りはこの社の例大祭です。
若い着物姿のカップルが多数で、正に縁結びの神に由縁そのものを如現していました。
ブログ人は記念の御朱印を頂きました(廉300¥)。御朱印はその2で公開します。
再び山車巡行の蔵通りに戻り、並み居る人を掻い潜りながら祭りに滴る。
道路は車両進入禁止で歩行者天国ならぬ、山車天国です。
駐車場を活用しステージもあります。この人だかり。
途中祭り通りをカットし川越を象徴する家光公誕生の喜多院叉の名を
川越大師にお参りし御朱印を頂戴(普500¥)
喜多院山門通り
漫ろ祭りの余韻を後に30分の徒歩でJR川越駅に向かう。街並みは文教都市の景観と
過の時代の通りの雰囲気があり、好感度の高いまちの評価です。
川越線の帰途、考えました。祭りって、都会の祭りって何だろうか???
田舎の祭りは農商に係る五穀豊穣や商売繁盛に寄与するが、都会の祭りは
商工会の傘下の経済効果が大きいのか?100万の見物客の落とす金は幾ばかりか?
纏めに、いまイチこの祭りに迫力が感じられなかったのは残念! 数年前のうちわ祭りの
大迫力に圧倒された記憶が蘇る。どうやら理由は
人出が100万人近くで山車周辺が大混雑で、安全が損なわれた機会があり、本年は
一道に会した山車の18基の渡御、還御パレードを中止したとのことだ。従って各町の山車が18基が漫ろ
各通りを獏然と巡行していたのだ。祭りはワッショイ(和を背負う)の響きが大事だ。
data
歩数:21193 (歩いたぁ、疲れた)
距離:12.71km
時間:191min(3時間も)
時速:3.98km/hr(遅っ)
雨でした。第31回白岡巡りは生憎の雨で朝6時45分に
主催者から電話連絡があり、中止が告げられました。残念!
しかし、前夜からの準備も整い、朝も5時半に起床し臨戦状態でしたので、
ひとり巡りを決行しました。TVも9時代には雨が上がる予報でしたので。
折角郵送された案内書を持ち、定刻の集合場所に行きました。
雨は小粒で弱く、いずれ上がるであろうの中も、誰一人来ていませんでした。
さぁ、ひとり巡りに8時45分にスタート。
最初は10分ほどの浄土宗忠恩寺です。1054年化開基の古刹。境内の中には
残念ながら山門が閉じられ入れませんでした。早4度目の訪問ですのでスルー。
つぎは10分ほど徒歩の高岩天満神社、1424年菅原道真公の画像が祀った謂れがありますとのこと。
ここも小雨の中で参拝客は無し。集会室の中に檀家の皆さんが集まっていました。
3番目は御成街道に出て一里塚が予定も過去何度となく拝見しているのでパス。
途中上野田交差点を左折し、4番目の正伝寺に入る。雨も上がり日差しがチョコっと差しましたが
すぐ曇天に、岩槻城主太田十郎氏房の開基も年代は不詳。人影もなくやや静寂感が漂う。傘を畳みました
9時45分に雨はやみました。
次は上野田鷲宮神社でこじんまりとした団地の中を通り抜け鎮座していました。
創建、由来とも不詳。久喜市の鷲宮神社の分社と見られています。一度焼失しているようです。
初めての参拝神社でした。御朱印帳を持参も、どの寺院も対応なしでした。残念!
ショートしたため、ゴールの高岩公園のルートがわからず、右往左往して
姫宮落川(農業用の用水路)を目当てに、視線を上に、空に向けて、目立つ構築物
鉄塔、浄水場のタンク、市庁舎の建物を視野にゴールすることができました。
ひとり巡りで10時35分到着です。本番は11時30分の計画でした。
何故なら、各地点で主催協会の専門家が5分程度の説明講釈するのです。
こうして、第31回の空巡りを踏歩しました。従いまして通算13回である参加も12回で留まりました。
次回2020年の春まで待ちましょう。
data
歩数:
距離:
時間:
時速;
NO2です。
この天変地異がますます深刻になることは温暖化現象にあろう。
さて、古来日本の昔話を思い出す。大蛇、龍に纏わる言い伝えは記憶に残る。
正しく、この氾濫河川は大蛇、龍の怒りの表れと考える。
大蛇、龍は水の支配者で古来、川の恵みに預かるところの農業、魚業の託する我が日本
農耕民族の経済基盤だ。その因果が多彩な風土の祭りとして、神への供えを重んじた。
八岐大蛇はそのテピカルな生贄話として、夙に高名。
デジタル社会はこの祭りに見る「祈りの安全」を超え、scienceだぁ。
では、受け身の、結果論の対策から、迎え撃つ攻撃的な対策は無いのか??
もし、実現すれば「ノーベル賞」ものだろう。科学者の皆さんの奮闘を祈ろう(嗤い)
私案だが、気象の誘導はさて置き、熱帯性低気圧のhPaを変える、圧縮する技術の開発は
既に研究されているようだが、実証実験では上手く行っていないようだ。
ただ、この策が成功すると、気象誘導をWARに利用する国家が出てきそう。その国連対策が必要になろう。
しかし、毎年ハリケーン、サイクロン、タイフーンに見舞われる領域国は悲惨な思いが重なる。
災害損失、経済不効果は計り知れない。この金を研究開発に投じたらどうだろうか?
夢に考えた一つの案を描こう
台風の勢力は海の高水温(熱帯海域)からエネルギを吸収し900hpa級の猛烈な破壊勢力に成長する。
そうであるならば、海上発達途上でその台風の目に「液体窒素を搭載したパトリオット弾」を
ぶち込み、エネルギ源を冷却し成長を抑える。。このメカニズムはどうでしょうか?
被災地の濁水が引いた後の惨状をTV各局が報道する様に辛い、悲しい、悔しいの負の感情だらけ