旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

戊辰戦争の決戦地「旗巻峠」

2010-05-27 23:41:07 | 宮城県の山
霊山の帰り道、戊辰戦争のときに仙台藩・庄内藩・米沢藩の連合と西軍が戦った旗巻峠に立ち寄った。
  ※ 霊山に登った記事 ⇒ こちら  

場所は、福島県相馬市と宮城県伊具郡丸森町の境にある。

現地の案内板に記された「古戦場全体歴史案内」は、おおむね次のとおりとなっている。



「旗巻の由来」
●前九年の役の頃(1051年)源頼義・義家父子の軍が安倍貞任(あべのさだとう)を討つため、騎馬に旗を立てたまま峠を越そうしたが、森林が深く通行を阻んだので、旗を巻いて通ったという言い伝えがある。
●伊達政宗が天正13年(1585年)初陣で大軍を率い相馬氏の所領となっていた金山城を襲い、一気に山の東まで撃ち払った。以来、稜線をもって藩境とし、故事に因んで旗巻と命名した。

「戊辰の役と旗巻のかかわり」
●戊辰の頃、旗巻は中村城を眼下に望見できるところとして仙台藩の重要な戦略拠点であった。
●浜街道の駒ヶ嶺城が落城してからは西軍の北進を阻止する仙台藩最後の拠点となった。
●明治元年(1868年)閏9月、細谷十太夫が率いる仙台衝撃隊(からす組)を含む仙台藩が、庄内藩、米沢藩の応援を得て兵1200名で守備、激突し、西軍を退却させた。
●9月11日、仙台から降伏使節が着いて「これより追撃無之事」と調停が成立し、戦いは終結。
●この地が、戊辰戦争中における仙台藩にとって最後の戦場になった。

細谷十太夫書による石碑、静まり返った松林の仙台藩「戦死塚」の前に立つと、合掌せずにはおられなくなる。



(▲旗巻古戦場観光案内)

(▲旗巻古戦場跡への入口。左の道が仙台藩戦死塚へ、右の道が古戦場跡へ)

(▲仙台藩戦死塚)

(▲旗巻峠戊辰戦跡碑 左側の石碑が細谷十太夫揮ごうのもの)

(▲旗巻峠碑と分岐道)

(▲北砲台)

(▲北砲台からの眺望)


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