全線非電化単線だから電車でなくキハ200系気動車の2両編成だ。
ちなみに沿線の菜の花は今年は1月に咲いたとの事。早すぎる!
実は呑み鉄のつもりでチューハイ缶持参で車両に乗りこんだのに座席は横一列のベンチで夕方とあって通勤通学で乗降客も多く流石に日本人の自分は無理だなぁと諦める。
谷山駅までしばらく市電が平行して走る。
60万人都市だけあってずっと市街地が続く。
この先の喜入(きいれ)まで完全に鹿児島市への通勤圏のようだ。どっと乗客が降りる。
この列車は指宿の先の山川が終点。そこから先の枕崎方面に行くには極端に便数が減るからJR西日本最南端の西大山駅は目指さない。
昭和38年まで薩摩半島を線路がぐるっと一周していたけど山川〜枕崎間も廃線の話しが出てるようで最南端駅が山川になるかも⁈
喜入を過ぎたあたりから鹿児島湾(錦江湾)の海岸に沿って列車が走る。
桜島の噴火のせいか島も対岸の大隈半島も良く見えない。
ところで篤姫の今和泉島津家の仮屋敷が薩摩今和泉駅から程近い場所(現在の今和泉小学校)にあった。
さて車窓から広がる景色を眺めながら篤姫が生きた当時の交通事情を考えてみる。
鹿児島城下からここまでの距離は約40kmだから歩けない距離でないが休憩を挟んで1日は要しただろう。
於一は子供の頃この砂浜で遊んだと云われるが分家でも島津家お姫様だから籠に揺られて城下から来たのかもしれない。
肝付尚五郎(後の小松帯刀)の仮屋敷も途中の喜入(現在の喜入小学校)にあった。
つまり喜入は肝付家の領地で今和泉島津家の領地(今の指宿:岩本、小牧、西方の一部、池田、開聞仙田の一部)と接していた。
尚五郎と於一のニアミスあったかもしれない。
仮屋敷とは薩摩藩独特の外城制度の麓が藩内120箇所ありその近くに役所を兼ねた屋敷が建てられた。
同じ日本でも薩摩藩は何かと異色だなぁ。
「次は指宿のアナウンス」でふと我に返る。
ワンマン運行で降車は先頭車両の一番前のドアが出口だから後車両から連結部を跨いで急いで移動する。
いやぁ、駅前は田舎の寂れた風景で駅から程近いホテルは赤茶色に錆びていた。
これならゲストハウスでよかったなぁ。
指宿と言えば砂むし温泉だけど不衛生だから誰が何んと言おうと行かない。ちょっとタハラ調⁈
ここは素泊まりと割り切っていたので食事に出かける。
食事処の少なさに落胆するがちょうど開店時間の小洒落たダイニングバーを発見!
推しの黒豚のスペアリブもいいけど海の無い信州から来たので海の幸を食したい。
本日おすすめお造りと黒豚メンチカツなど戴く。特産きびなごに色々な刺身に盛り方も綺麗だけど写真を撮り忘れた。
当然ながら地酒の焼酎に日本酒と種類も銘柄も豊富だが今日も蒸し暑かったから生ビールにした🍺
でもワイワイガヤガヤの一杯居酒屋の方が自分には合ってるなぁ。
呑み鉄も空振りで風景も霞んでちょっと残念だったけど明日は帰路につく。