デ某の「ひょっこりポンポン山」

腎がんのメモリー(術後10年クリアーし"卒がん")、海外旅行記、 吾輩も猫である、人生の棚卸しなど。

腎がんのメモリー 9 ( 虹をわたったmさんに )

2014-04-12 15:58:00 | 腎ガンのメモリー
 悲しみの「ありがとう」

 『夕方になり酸素濃度が低くなり始めました。心拍数も徐々に下がってきました。酸素濃度が計測不能になり心拍数が0に・・・。18:27 眠るように息を引き取りました』。

 これは4月3日、mさんのブログに「ありがとう」のタイトルで記された彼女のおつれあいの言葉です。厳しさは承知していましたが、しばらくショックで言葉を失いました。

 いま彼女のブログに記された1年9月の歩みを改めて読みました、深刻な状況にあってなお希望を失わないmさんの明るさに、心がちぎれそうになりながら・・・。

     【by QP】

 プロローグ

 mさんを初めて知ったのは一昨年(2012年)6月、Sさんの腎がんブログでした。翌7月に腎がんの手術を控えていると記されていました。一年前の7月に私も腎がんを手術したことから、mさんのブログにコメントしたのが彼女とのおつきあいの始まりでした。

 mさんは2012年5月28日、6cmの腎臓がんを告げられます。第1期、一般的にはそう深刻な状況ではありません。彼女のブログは、「告知」に始まり、7月20日「入院」、そして「手術前日」「手術一日目」・・・7月30日「退院」まで克明に綴られています。

 9月9日、病理検査の結果、腎下極6.3cmの境界明瞭な腫瘍。明調細胞からなり腎実質内に留まる。腎盂側も被膜内に留まる。脈管侵襲もなし。聞いて安心しました。先生も再発は9割がたないでしょうと言ってくれました。あ~良かった』。

 安堵した彼女は、仕事(AET・・・小学校の英語助手)の楽しさ、やり甲斐について日記に綴っています。PPMでヒットした「パフ」を英語で歌い、英語の絵本の読み聞かせるetc.

 術後3か月 思いがけない肺転移

 9月半ば、新幹線で単身赴任中のおつれあいを訪ねて行きますが・・・。
 どうも体調が芳しくなく…新幹線に乗るだけで精一杯。着いた時はクタクタでした』。
 翌10月下旬。
 主治医から電話があり癌が肺に転移しているとのことでした。明日の結果報告は予定より1日早い、今日聞くことになってしまいました。現在、両肺に・・・2cmの大きさらしいです。こんなことになるなんて思ってもみませんでした』。
 彼女の衝撃の深さを思い暗澹たる気持ちになりました。

 嬉しい出来事

 秋深まる11月。mさんはご子息の大学祭に行きます。
 息子が生き生きと大学生活を送っている様子を見ると、嬉しいです。卒業まであと2年。肺転移が2年後だったら良かったのにな~とつくづく思いました』。
 おつれあいからの嬉しい知らせ。
 主人からメールがありました。異動願いが受理されたそうです。13年ぶりに、夫と暮らす普通の生活。本当に安心です。一つ山を越えた気がしました』。

 分子標的薬スタート

 その頃から分子標的薬の治療が始まります。
 スーテント開始。腎臓がんを宣告された時と同じくらい落ちこんでいます。友達や知り合いは口を揃えて、mさんはいつも元気ね、と言います。そんな元気印の私はどうなるのでしょう。大丈夫、大丈夫、と何度も念じています。でもやっぱり怖い』。

 12月、幾つか現れるスーテントの副作用を淡々と記しつつ明るさ失いません。
 スポーツジムは私のライフワーク。体調が良い日はエアロをしていました』。
 mさんらしく、希望と愉しいことを見つけては記しています。

 2013年(平成25年)

 年が明け、おつれあいと伊香保温泉へ四泊五日の旅。写真付でいかにも楽しく幸せなmさんがUPされています。ボカシは入っていますけど幸せオーラは十分あふれます。
 1月下旬の診察で「がんは小さくなっている」ため効果を調べるCTが撮られました。
 そして2月中旬。
 今日は結果を聞きに行きました。心臓が飛び出すくらいドキドキしながらドアを開けると、先生が神妙な顔つきで、mさん、とてもスーテントが効いてますよ、と急にニッコリ。大きなガンが1つ消え残りも影が薄くなり小さくなって消えかけています。多数あったミリ単位のものも殆ど消えているそうです。この結果を聞いて思わず、うれし涙』。
 この日記を読んでmさんを知るひとはみんなどんなに歓んだことでしょう。

 勤め先の検診(レントゲン)。
 不安でしたが、結果は・・・ちゃら~ん。異常なしの診断です』。
 気をよくして2月末には女性腎がん仲間のオフ会に出席、全国から集まった11人。
 大規模オフ会。なんてエキサイティングな週末だったのでしょう』。
 3月中旬スーテント第3クール終了。順調ですが、彼女の心から「死」が離れません。 
 墓・・・もし先に私が死んだら遺骨は家に置いておこう。そして主人が死んだ時、ATMのお墓に入れて貰うよう子供に遺言しよう。だから一緒にあの墓に入ろうって、言ってくれました。それを聞いて気持ちがストーンと落着き宗教探しをするのをやめました』。
 いま、改めてこのくだりを読み、涙がとまりません。

 新たな意欲をもって仕事に勉強にすべてに・・・

 4月。勤め先の小学校が始まります。教育実習を受ける大学で科目登録もします。
 去年は腎臓癌が発覚し手術や投薬で体力も気力も失いました。なので単位が全然たりましぇ~ん。でもこんな目標があって良かった。生きる気力につながります
 5月。CT検査。
 詳しい検査結果を聞きました。肝臓などの他の転移はなし。また肺の専門の先生がみる上では、2月のCTと比べて変わりなしということでした』。
 順調な状況に、前から関心をもっていたことに挑戦します。
 資料一式を先生に提出することができました。結果、I-CCA治療をやりましょうと言われました。問題がなければ1週間の入院になります』。
 6月。I-CCA治療が始まり、インターフェロンの自己注射、薬服用・・・。
 6月下旬には高校の同窓会に出席します。
 皆に、変わらないね!と言われ気を良くして帰宅。ただ同級生で2人亡くなった方がいてショックでした。次の同窓会に私はいるだろうか…そんな思いがよぎりました
 いつも生と死、光と影が、彼女の心のなかで重なります。

 そんなにもあなたは健気に・・・

 7月。副作用の試練がつづきます。 
 字が書けなくなるほど手が痺れます。こパソコンを打つのもキツイ脊髄に転移です。8月初旬に別の病院に移りサイバーナイフをうけ、また今の病院に戻り暫く点滴治療をします。やってみないとわからないと言われました。でも頑張ります。闘いますよ~
 なぜ彼女にばかり試練が続くのか・・・なのになぜあなたはそんなにも健気なのか・・・。
 ここに入院した日は真っ暗闇で涙しかでませんでした。主人の涙をみたのもはじめてでした。私はごめんね を繰り返す事しかできなかった。実の所、これからこの体がどうなるか本当にわかりません。でも主人は、たとえ寝たきりになっても、ずーと一緒にいるよ。オムツだって替える、と言ってくれました。そんな言葉に安心しました』。

 患者の心に寄り添う医師 自分の心に寄り添う医師

 8月に入り、サイバーナイフを受ける病院に転院が決まります。 
 無事に転院しました。ここへ行く前に大学に寄り、足りない科目の履修登録をしました。ほんの少し歩いただけなのにクラクラ やはりシャバは病院と違いますね~』。
 『サイバーナイフ、効いているのかいないのか、まだわかりません。今日は主治医の先生が照射後、お迎えに来て車いすを引いてくれました。なんだか嬉しかったです』。
 
 
 彼女が巡り合う医師をみていると、患者の心に寄り添う医師と、自分の心にしか寄り添わない医師と、大きく二つに分かれることがよくわかります。

 来週からインライタ開始。将来、別の病院で肺腫瘍にもサイバーかけたいと言うと、先生は、じゃ来週早々退院してその病院に行ったらどう?病院をホテル代りにされたら困る、と。隣にいた主人もビックリ! やはり他病院の話はタブーなのでしょうか

 励ましに思わず涙が・・・

 厳しい状況と闘う彼女を支えるひとびとのこと・・・。 
 毎日誰かしら見舞いに来て楽しい入院生活です。主人のお母さんとお兄さん夫妻も来ました。帰りがけ、mちゃん、がんばるんだよ、の挨拶にお互い涙が出てしまいました

 お盆明け、インライタの治療をしている病院から退院を促されます。 
インライタに問題なさそうなので退院してと。この先どうしたらいいか不安です

 8月も終わります。嬉しいことは必ず記すmさん 
 勤務していた学校に挨拶。事務室に、いつも一緒に給食を食べていた先生方がゾクゾクいらして、事務室はたくさんの人でいっぱいになりました。みなさん、とても心配してくださっていて思わず涙がダーダーダー。寄せ書きまでいただいて、こんなに思われていたんだと気づかされました。帰りの下駄箱では大勢の先生が集まってくださってまるで何かのイベントのようになってしまい、恥ずかしかったです』。

 秋を迎えて・・・

 9月。彼女に生きる目標がまた一つ加わりました。 
 2020年オリンピック東京開催が決まりました。東京オリンピックまで生きたい
 インライタの副作用についての記述がつづきます。読みながら心が痛みに耐えられず、10月の終わりの日記だけ少し・・・。 
 4日前の深夜、突然40度の熱・・・熱が下がり安心すると、翌日は下痢。あれこれ体調を崩しなかなか前に進みません・・・カメさんマーチで歩きます!』。

 11月。
 骨シンチ・・・異常なし。首のサイバーナイフ・・・縮小で効果あり。肺CT・・・増大。腹部CT・・・腸腰筋に再発。1番の問題が肺』。

 そして11月下旬。 
 肺の多発転移。転移の数が多すぎてサイバーナイフの対象にならない。数は3つ、大きさ~5cm。 ガーン!やっぱりアフィニトールにしないと・・・の決断に。肺の多発転移はどうにも厄介な症状です。いくら放射線治療しても再び腫瘍ができ意味がないと言われました。咳や痰、呼吸困難の症状がでる前に何とかしたい・・・昨日は落ち込みました』。

 師走 病院で年越し

 12月下旬。
 今日は試験を受けに大学に行ってきました
 しかしその一週間後、
 高熱が出ました。病院を受診。血液検査ではCRPが275(※註)、CTで肺炎とわかりました。間質性肺炎とは違うらしく、まだ肺炎も酷くないそうです。どちらにせよ年末年始は病院で過ごすことになりました(泣)
   註:炎症、細胞破壊。15~20でも重篤な症状。
子供みたいでごめんなさい。でも帰りたいよ~。27、28日と夜になると38度以上の熱が出ていましたが、昨夜は平熱。咳も出ず本当に元気!』。

 2014年(平成26年)

 腎がんになって2回目、2014年の正月を迎えますが、症状は進みます。
 退院して家にいるはずでしたがまだ病院にいます。今モルヒネの一つ下の痛み止めを一日4回のんで痛みのコントロールをしています。少し前までは痺れ止めくらいで済んでいたのですが・・・いったいどうしたことでしょう。痛いのはつらいな~』。 
 そして1月末。 
MRI結果。なんと脳に小さい転移3つ。目が見えにくかったのはこのせいです

 2月に入りました。 
 先生が、9日の結婚式でふらつかないように治療しましょう、もちろんその後の事も見込んでですよ、とおっしゃってくれました。8月には孫が~と言うと、ますます元気にならないとね と。先生の励ましの言葉は力になります!がんばるど~』。 
 そして9日、お嬢さんの結婚式の写真がUPされます。
新郎新婦です。人生で素晴らしい日を迎え胸いっぱいの思いです
娘の結婚式が済み気持ちが抜けたのでしょうか主人を送り出しボーとTV見てると涙がボロボロ自然に流れます。スーテント始めました。Retry、効いてくれないかな~

 ブロ友の旅立ち

 2月中旬、ブログ友の突然の旅立ち。
ブロ友が旅立ちました。突然の報告に驚き悲しみ悔しさ…色々な感情が渦巻いてます。涙が止まらなくなりました。彼にはたくさん教えて頂きました。心よりご冥福を祈ります

 逃げるように2月も終わりを迎える頃。 
 久しぶりに歌の仲間とランチをしました。彼女達の眩しいばかりの元気に触発され、私も生き返った気分になりました。
 土曜の午後の電車は混んで到着駅で降りようとしたら押され、電車とホームの間で倒れてしまいました。はっと顔を上げると私を囲み人の輪ができていました。恥ずかしい。
 今週末スクーリングの後半があります。単位も落とすことなく終了させたいです。それにしてもイギリス文学史は手ごわい。世界史が苦手でイギリスの歴史的背景が・・・
』。


 mさんの最期から二つ目の日記

 『診察後のランチはレストラン〇〇〇のグリルでハンバーグステーキ、ボリュームたっぷりほくほくのじゃがいもが添えてあって美味しかったです。満足、満足。
 娘はグレープフルーツゼリー、私はイチゴのムース。美味し~い。スーテントをのんでいるとグレープフルーツが食べられないので娘のゼリーは試食できませんでした。
 土曜、日曜は先週に引き続きスクーリング。イギリス文学史です。しかも日曜日は試験が最後にありめちゃ難しい。これってスクーリングの授業を受ければ合格するんだよね?試験は関係ないよね?と隣の若者に聞いたら明るく、僕スクーリングをまじめに受けたけど落ちました。たぶん試験です、って。え~~~落ちるの~。
 でも自分なりに頑張りました。クタクタでも勉強しました。全力投球したスクーリング、やろうと思えばなんとかなるものなのね。まだ受かったかどうかわからないけど・・・


 エピローグ 最期の日記「久しぶりなのは(2014.3.18)」

 実は先々週、病院の外来で大変なことを言われました。
 一週間の休薬の間に肺の腫瘍がものすごい勢いで増大してると・・・。スーテントを始めた2週間で腫瘍が小さくなっていたからでしょうか、リバウンド激しいみたいです。
 主治医はいいました。このままではいつ呼吸が停止してもおかしくない、末期医療について確認しておきましょう、と。意識がなくなった場合は・・・血圧が下がって意識が・・・等々質問されましたが、気が動転して、意識がないなら何もしないでいいです、死なせてください、と言ってしまった。次に口を開いたのは、先生!私死ぬ気がしないんですけど、元気です。
 こんな死の宣告をうけましたが、生きています、元気です大丈夫です。でも緩和ケアなどを考える良いきっかけになりました。色々調べいざという時に備えたいと思います。
 今日はまた近所のパン食べ放題サンマルクに〇さんのお友達と行ってきました。たくさん食べて、たくさんおしゃべりして楽しかったね
』。


 いつかまた「虹のオフ会」で会いましょう

 mさんは、最期の日記の2日後緊急入院、2週間もたたぬ4月2日虹をわたりました。
 腎がんの仲間は心をひとつに「またむこうで会おうね」と言います。人は、誰しもみな一つの例外もなく、いずれその生涯をとじます。一足早く、しかしあまりにも早く逝ってしまったmさん。お目にかかったことも話したこともなかったmさん。いつか「虹のオフ会」で会いましょう。がんのことではなく、楽しいお話をいっぱいしましょう。
           
      【by QP】

  【補遺】… 2023.3.1 記
       来月4月2日はMさんの命日 … 十回忌です。旅立たれて そんなにも経ったのですねぇ。
       米国大統領はオバマ~トランプ~バイデンとかわり 日本でも民主党から自民党政権にかわりました。
       世界にはコロナ禍が蔓延し 世界の感染者は6億7500万人、死者は 687万人に上っています。
       日本の感染者も 3,320万人、死者は 72,387人に上ります(2/28現在)。
       Mさん。もう "mint" さんでいいかな。mintさんのお孫さんも大きくなられたことでしょう。 
       お目にかかれないまま旅立たれましたけど、いつかmintさんにお目にかかれる日は…
       私の旅立ちの日ではありますが、悲しくもあり 楽しみでもあります。



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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ご冥福をお祈りします。 (michi)
2014-04-12 22:46:48
言葉が見当たりません。
まだお若かったんでしょうに
これでもか、と次から次に・・・ひどすぎますね。
いつくしみ育んだ・・・ (デブと某医)
2014-04-13 00:14:57
michiさん

読んでくださりありがとうございました。
読んでいてつらくなりますけど、彼女は読まれることを願っている思い・・・。

> 言葉が見当たりません まだお若かったんでしょうに
> これでもか、と次から次に・・・ひどすぎますね。

息子さんは院に在学中、娘さんは結婚したばかり・・・。
いつくしみ育んだお子たちのこれから!も見ず!
コメント、ありがとうございました。
いつか必ず「虹のオフ会」 (SORA)
2014-04-13 23:11:54
デ某さん・・・

デ某さんがまとめて下さった文章と照らし合わせながら、もう一度私もMさんのブログを読み返しました。
私もMさんとは一度もお会いしたことはありませんでしたが、ブログでのMさんとのやりとりの思い出が次々と頭をよぎり涙が・・・はじめてMさんが、私のブログにコメントされた時のことやご主人が単身赴任なので心細いと言っていた事、そしてご主人が帰ってこられて喜んでらした事、娘さん息子さんのこと、職場のみなさんに囲まれ涙された事・・・
読み返せば読み返すほど胸が痛みます。

また、デ某さんのこの記事を読ませて頂き
デ某さんが、いつも仲間のブログをいかに大切に熟読してらしたか、そしてMさんが記されたひとつひとつを抱きしめるかのように読み返された。そのことに胸が熱くなる思いでいます。

いつかずっと先の先の未来に必ず「虹のオフ会」でみんなで会いましょう。その時は、デ某さんは、司会進行&皆さんのとりまとめ等、重役をお願いしますよ。
えっ!?そう言う私ですか 
きっと私は皆さんのパワーに圧倒されモジモジ??? 
皆さんの楽しいお話しの聞き役ということでお願いします
虹のオフ会 (デブと某医)
2014-04-14 01:01:55
SORAさん

コメント、ありがとうございました。
明日の準備をしていて、いま漸く気づきました。

> この記事を読ませて頂き
> いつも仲間のブログをいかに大切に熟読してらしたか・・・

コメントさせていただくにはちょっと勇気がいりますけど、
SORAさんには自然にす~っと入って行けました。
Mさんもmさんもみなさんそう!だったと思います。
始まりはみ~んな・・・SORAさんでした
そこから広がった輪、いつまでも大切にしたいと思います。

> いつかずっと先の先の未来に必ず「虹のオフ会」でみんなで会いましょう。

ず~っと、出来るだけ先の先になることを
先に行ったみんなも願っているにちがいありません。
でも、虹のオフ会があると思うだけで心がはずみます。
いつか必ずお会いしましょう、開きましょう、明るく楽しくワイワイと!

> その時は、デ某さんは、司会進行&皆さんのとりまとめ等・・・。
SORAさん、モジモジしている場合ではありません。 
最初にも書きましたように、始まりはみんなSORAさんから!
でもまぁ、役など決めず ワイ!ワイ!がいいかもしれませんね。
ではでは・・・おやすみなさい。
Unknown (Anne)
2014-04-14 18:49:31
mさんのご冥福をお祈りいたします。

私はブログでの面識もない方なのですが、こちらを読ませて頂いてるだけでも、明るくて前向きで頑張りやさんのお母様だったんですね。
そして初めての癌からとても速くて驚きです。
お嬢様が結婚されて、きっと虹の橋の向こうからお孫さんを楽しみにしているかもですね。

イタリア語はローマ字と言うのを学習してるから、読みやすいですよね。しかも英語みたいにLとかRとか、日本語にない発音も殆どないし!
ローマ字で読んだままなことが多いから、外国語の勉強としては、ストレスの少ない言葉かもですね!
きっと・・・ (himiko)
2014-04-17 14:35:06
デ某さんのお名前はmさんのブログや他で何度もお見かけしておりました。mさんのブログに書かれるコメントがいつも優しく丁寧な方であると思っていました。こうして、デ某さんなりに、mさんとの軌跡を綴って下さったことをきっと彼女は喜んでいると思います。読ませて頂き、私もいろんなことがよみがえり今また涙があふれます。本当に素敵な人でした。私に無いものをたくさん持っている人でした。
君に涙と微笑みを (デブと某医)
2014-04-21 16:38:49
Anneさん

暫くPC環境のないところに居ましたので、レスポンスが遅れ失礼いたしました。

> mさんのご冥福をお祈りいたします。
> 明るくて前向きで頑張りやさんのお母様だったんですね。
> お嬢様が結婚されて、きっと虹の橋の向こうからお孫さんを楽しみにしているかもですね。
コメントとお祈りをくださいましてありがとうございました。
彼女も私も腎がんにならなければお互いに知り合うことはありませんでした。
まだ40代の彼女、無念でいらっしゃったと思います。
際立つ明るさのなかに時に垣間見る彼女の哀しみに心つぶれました。
これから誕生されるかもしれないお孫さんはじめ、
この世では会えなかったひとにエールを送りつつ
ず~~っと先の出会い、再会を待っておられることと思います。

> イタリア語・・・。
こちらにコメントでレスくださりありがとうございました。
懐かしいボビー・ソロ「きみに涙とほほえみを」をおくります。
http://www.youtube.com/watch?v=6AYzxmcullA
雨を降りそそぎ (デブと某医)
2014-04-21 17:11:37
himikoさん

ここでは・・・はじめまして!
こころ深いコメントをくださりありがとうございました。
2週間の予定で眼の手術で入院しましたが、経過がよく今日8日目に退院しました。
レスポンスが遅れましたこと、お詫びいたします。

> デ某さんのお名前はmさんのブログや他で何度もお見かけしておりました。
> mさんとの軌跡を綴って下さったことをきっと彼女は喜んでいると思います。
私もhimikoさんのコメントをいつも心にとめていました。
mさんからいただいた出遭いの贈りものの一つ・・・と大切に思っています。
私のブログニ書くべきことだろうか?と、幾度もためらいつながら・・・のUP、
仰っていただき少しだけ気持ちが軽くなりました。

> 読ませて頂き、私もいろんなことがよみがえり今また涙があふれます。
> 本当に素敵な人でした。

きらきら輝く彼女であったがゆえに
読みすすむのがつらくなる内容ですし、
私自身、読みながら書きながら思い出しては・・・の「メモリー」でした。
SORAさんやhimikoさんにお読みいただいただけで、
迷いつつも書きUPして良かったのかなぁと、いま思っています。

本田路津子さん・・・。
旧い世代のフォークシンガーでご存知ないかもしれませんが、
澄みきった空のような讃美歌をおくります。
本田路津子「雨を降りそそぎ」
http://www.youtube.com/watch?v=AHNHWPt4xBk
目の手術 (六花)
2015-10-24 00:09:20
きれいな曇りの無い目で退院おめでとう御座います。
これからは夜に色メガネで走らなくて済みますか?

本当はこの手のブログを読むのは胸が痛くなるので苦手です。
形容詞ではありません。 心臓の辺りが痛くなるのです。

重なる部分がいっぱい有りました。
インターフェロンが 自己注射になって
いるのですね・・昔は元旦も打ちに行きました。
私たちもCRPのにらみ合いがつづいています。
そのかたの数値に言葉もありません。

丁寧に読まれてコメントなさっていらしたデ某さん。
mさんは、どれだけ慰めに また勇気を頂いた事でしょう・・
デ某さんのお人柄は 周りの人々を明るく 勇気づけますもの・・

目を大切に 風邪などお引きになりませんように。  ではまた。お休みなさいませ。
目が疲れます 六花への返コメいりません。

私のたいせつな歓び (デ某)
2015-10-24 10:15:29

六花さん
おはようございます

心臓が痛くなるのを厭わずお読みくださりありがとうございました。
私は主には「腎」臓ながら「心」臓にも小さな爆弾をかかえています。
でも平仮名にすれば「じん」「しん」、「濁り」がないだけマシでしょうか。

> インターフェロン・・・昔は元旦も打ちに行きました。
>私たちもCRPのにらみ合いがつづいています。
> そのかたの数値に言葉もありません。

CRP・・・mさんのブログに記された信じがたいほどの数値に驚きます。
それでも「私、死ぬ気がしないんですけど」と・・・。
それがまさにmさんでしたね、そういう健気なところが・・・。
今、退院した父は一時よりぐっと恢復しつつありますが、CRPは未だ高いのです。
でも一時よりは数値も表情も本当にみちがえるように良くなりつつあります。

> 丁寧に読まれてコメントなさっていらしたデ某さん。
> mさんは、どれだけ慰めに また勇気を頂いた事でしょう・・

mさんが腎がんの手術をされたのは私の手術のちょうど一年後でした。
ステージもよく似ていましたから最初は結構!楽観的にお話ししていました。
でも術後僅か3か月で肺転移・・・私にも他の腎がんの方にもかなりの衝撃でした。
彼女の健気でしっかり前を向いた姿勢に
私は勿論、他の方もきっと逆に励まされていました。

> 目を大切に 風邪などお引きになりませんように。  
> 六花への返コメいりません。

お心遣いありがとうございます。
「返コメいりません」などと仰らないでくださいね。
六花さんにコメントすることは私のたいせつな歓びなのです。
いつもあたたかいお言葉をいただき、心にスタミナをつけていただいています。
ありがとうございました

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