デ某の「ひょっこりポンポン山」

腎がんのメモリー(術後10年クリアーし"卒がん")、海外旅行記、 吾輩も猫である、人生の棚卸しなど。

山野草の杜にて … 名曲断想4

2021-04-25 18:47:31 | かんわきゅうだい
 格別のことがなくともナニゲに出かける和知(京都府)山野草の杜。コロナ籠りをますます強いられそうな25日の前に…と出かけました。入苑は世知辛くも300円/人の有料ながらこの杜をJR山陰線が走り由良川が流れるだだっ広さ… "三密" には程遠い世界ではあります。

    
                  風もなく穏やかな水面の由良川に山桜がまだ残っています。

 人間て同じことを考え思いつくもののようです。杜で出遭い少し話をするとみなさん『明日から暫く "籠りびと" になりますから今日のうちに!』と…。いつもは人影はまばらなのに結構な人出でした。弁当を広げる "登山仲間" のみなさんは「軽すぎる散策」と。

    
              整備された散策路が殆どですが、急峻な細い山道も結構!あります。

 小高い山頂に "忠魂碑" があります。この村から日清・日露の戦争に出征し斃れた人々の慰霊碑です。小さな村でしょうに礎石には数十人の名が刻まれていました。将校は皆無…伍長、曹長が少数…殆どは上等兵以下の兵卒です。この村の悲しみの深さを思いました。

    

 「青春」という言葉に 李恢成「われら青春の途上にて」、俵万智「サラダ記念日」にある『青春という字を書いて横線の多いことのみなぜか気になる』を思います。誰にもあった輝かしくも苦しく悩ましい青春、そして生きていれば誰もが迎える老春、旅立ち。

    
        和知 "山野草の杜" にあるJR山陰線鉄橋…青春の十年余 郷里との往復をした鉄橋です。

 「またそんな話か!」と揶揄されそうですね。今日は尾崎豊の命日、生きていれば56歳…三十周忌です。『だけどこの目に映るこの街で僕はずっと生きてゆかなければ』と歌いながら "野垂れ死に" のように或る日 突然!旅立ちました、まるで僕が僕ではなかったかのように…。
    
 人間の顔。美男美女がいつもいつまでもそう!とは限りません。そうではない!ひとも 老いてそれなりにカッコ良くなります。その典型?の一人が小椋佳かもしれません。齢を重ねる毎に ほんと!カッコ良くなられました。二十代のステージと較べれば歴然!です。

"さらば青春" (作詞作曲:小椋佳)
 東大法学部から旧第一勧銀(現みずほ銀)へ。二足の "草鞋" ならぬ "金の靴" でシンガーソングライターとしても超一流の道を歩み、晩年?は東大大学院で修士号(哲学)。その華々しさの裡で彼を少し苦しめたのが前述の非ハンサム系顔立と言われていますが、文句な~し!

 そう言えば阿久悠も非ハンサム系かな?(ついでながら私も!)。その分 詞・曲に陽の当たる世界とはやや趣を異にする "特有の翳り" が感じられます(ついでながら私のブログも!)「遠く過ぎ去るものに 呼びかけはしない」けど、少女には「泣くのはおやめ」と優しく語りかけます。

 1960~70年代、フォークソングがムーブとなりました。ポップスっぽいフォークもありましたが、主流はプロテスト!フォークでした。「歌って踊ってナンセンス」と言っていた人の心をも一つにしたフォークが「We shall overcome」であり日本の「友よ」でした。

 プロテスト(抵抗)ソングであったフォークが米国から日本を含め世界を席巻した1960~70年代を画期として 若者の "反米" 傾向が "親米" に舵を切りました。それは歴史のアイロニーでしょうか。それとも水面下深く大国が巧みに仕組んだ思想と文化の支配!でしょうか。

    
         杜の日陰にひっそりと咲くシャガ(著莪)。花言葉は "反抗(プロテスト)" だそうです。

 1970年代半ばに歌われた りりィ「私は泣いています」。「私は泣いています」と歌うのですが、私のほうが胸がいっぱいになります。私より歳下ながら、もの憂い眼でもの憂く歌われると…かないません。それこそあなたの幸せ願っていたのに旅立ってしまいました。

 紫陽花とよく似た "オオデマリ(大手毬)" には 紫陽花よりひとつひとつの花びらにしっとり量感があります。花言葉には "天国" も…。りりィに捧げます。そして今日が命日の尾崎豊にもおくります。ひとを偲ぶのは生きていればこそ…偲べる限り偲びたいと存じます。

    

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商用でもなく 閲覧範囲も限られ心外!ながら 殆どをバッサリ!削除しました。


16 コメント

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尾崎豊 (遠音)
2021-04-25 19:35:55
大好きな歌を聞きながら・・

「和知 "山野草の杜" にあるJR山陰線鉄橋…青春の十年余 郷里との往復をした鉄橋です。」
このお写真 秀逸です! アングルがとても良い
で・・こんな写真を撮りたいなぁ~

書かれたことが一杯 胸に響きますが・・
次の人が書くのでしょう・・そう思って
再び尾崎豊に戻ります・・。
小椋佳さん (chorus-kazeアッコ)
2021-04-25 20:57:29
こんばんは。
小椋佳さんの「シクラメンのかほり」や
「しおさいの詩」は男性の歌ですが好きで
今は行くこともないですが
昔カラオケに行くとよく歌いました。
シクラメンのかほりは、布施明さんが歌うより
ご本人が歌われる方が断然良いですね。
この方が持っておられる悲哀というのでしょうか
内面にある微かな湿りのようなものと
声高に主張しない優しさで、聴く人の心に
しっとりと沁みてきます。

東大紛争があった時に受験生だった私の時代は
日本がそれほど豊かではなく、若者たちが
理不尽な世の中に立ち向ったエネルギーの発露として
そう言う音楽も溢れていましたね。
Re : 遠音さん「尾崎豊」 (デ某)
2021-04-25 22:40:51
遠音さん
コメントありがとうございます

> (JR山陰線鉄橋) ...このお写真 秀逸です! アングルがとても良い
アングルを お褒めくださり ありがとうございます
この鉄橋の上も下も山野草の杜の中にありますから
安全上の見地から アングルの選択肢は限られていますが...(笑)
それでも "遠い昔" を想うにふさわしい写真を!と考えて撮りました。

> 書かれたことが一杯 胸に響きますが...次の人が書くのでしょう
> そう思って再び尾崎豊に戻ります
此頃はスルーされる方が多く お気遣いはご無用にございます

今夜の遠音さん地方は 雪でしょうか?
お風邪など召されませんよう 暖かくされ 尾崎の魂に耳を澄ましてくださいまし
Re : chorus-kazeアッコさん「小椋佳さん」 (デ某)
2021-04-25 23:11:47
アッコさん
コメントくださり ありがとうございました

> 小椋佳さん「シクラメンのかほり」「しおさいの詩」... 昔 カラオケに行くとよく歌いました。

私 この二曲も収められた小椋佳さんのLPレコードをもっています。
カセットテープにダビングしでもしばしば聴いていました。
レコードもカセットテープも...今は昔!ですけどね。

> シクラメンのかほりは、布施明さんが歌うより ご本人が歌われる方が断然良いですね。

布施さんは絶唱、熱唱タイプ... それはそれで惹かれますけど、「けど」ですよね(笑)

> 悲哀というのでしょうか 内面にある微かな湿りのようなものと 声高に主張しない優しさで
> 聴く人の心にしっとりと沁みてきます。

小椋さんの音楽には ご家族が特に!色濃く反映しているように思います。
どんな大きなホールで公演される場合も ご家族とともにある音楽!なのだと思います。

> 東大紛争があった時に受験生だった私の時代... 日本がそれほど豊かではなく、
> 若者たちが 理不尽な世の中に立ち向ったエネルギーの発露として...音楽も溢れていました

たぶん ... 同世代でいらっしゃいましょうか?
同時代に青春を送った残り香を微かに感じます(笑)
古めかしい言葉ながら いつの時代も「歌は世につれ世は歌につれ」。
歌詞の一つ一つ 音符の流れに ... 時代と社会と人の精神が こめられています
デ某さまへ (くりまんじゅう)
2021-04-25 23:37:13
デさまが時々載せておられる 和知は美しい里ですね。この時期の緑の美しいこと!
ここには忠霊塔があるのですね。私の育った田舎にも忠霊塔があり 私の時代には
小学校で年一度の忠霊塔の掃除がありました。今の生徒はしてないようです。

コロナワクチンの申し込みが telもネットも通じないと こちら200人の老人が
市役所に押しかけひと悶着あった映像が 全国ニュースで流れました。
わが県はそれほど老人が多いですが 尾崎豊の生涯はわずか
26年でしたか あまりにも短いです。

小椋佳氏のこの曲がヒットした頃 TVには出ませんでしたので この甘い声の主は
どんなにハンサムだろうと 頭に描いた人とは大きく違いがっかりしましたが
あの頃はまだ私が若すぎ 男を見る目がなかったです。
今の小椋佳氏は 当時より何倍も魅力があります。

小椋氏は胃がんを 太田裕美さんは乳がんを克服しましたが イルカは難病の
夫を亡くしました。皆それぞれにつらい時代がありました。
りりィはまだ60代前半で 肺がんを患い亡くなりましたね。

ジョーン・バエズの歳と共にかもし出す 強さと雰囲気が好きです。
歌声を聞いていると 自分の若かりし頃が思い出されて 胸がじ~んとします。
引退などせずに いくつになっても歌い続けてほしいです。
Re : くりまんじゅうさん (デ某)
2021-04-26 11:08:01
くりさん お早うございます。
コメント ありがとうございます
返信が遅れ申し訳ございません。

> 和知は美しい里ですね。この時期の緑の美しいこと!
能勢(大阪)、朽木(滋賀)、篠山(兵庫)、小浜(福井)、美山(京都) ... "ハマった" ところは数々!
でも 今 出かける回数として 和知は断トツ!のトップです。

> ここには忠霊塔があるのですね。私の育った田舎にも忠霊塔があり...

この忠魂碑は 戦後の一時期、撤去を求められ 止む無く撤去したそうです。
"忠魂" が問題視されたのですが、地元の熱意で再び元のところに帰ってきた由。
司馬遼太郎「坂の上の雲」を読むと、兵士が "捨て駒" のように斃れる様が描かれています。
史実は この作品を遥かに超える惨状 惨禍であったことと思います。
郷里のわが家の仏壇にも 金鵄勲章が置かれており 一層の思いがございました。
くりさんのところの "忠霊塔" ... 今の子どもたちにもその "命" を受け継いでほしいですね。

> コロナワクチンの申し込み... こちら200人の老人が市役所に押しかけひと悶着...
わが市では5/6~予約開始、5/16~接種開始 ... 集団と個別(掛りつけ医院)を選択できます
予約も個別の医院に電話で行うことができます。
集団だけ!で予約・接種の市は予約が一時に集中し混乱しているのかもしれません。

> 尾崎豊の生涯はわずか26年でしたか...
30周忌とは思えないのは ... 亡くなった後も彼の歌を聴きつづけているからでしょうか。

> 小椋佳氏のこの曲がヒットした頃 TVには出ませんでしたので どんなにハンサムだろうと...
> 頭に描いた人と違い がっかり... まだ私が若すぎ 見る目がなかった
谷村新司さんは 高校生の頃 或る女性と熱心に文通されていたそうです
その頃の雑誌には「ペンフレンド募集」欄があり、そこから始まったのですが...
或る時、写真を交換しよう!となり写真を送ると 彼女から プツリ!音信が途絶えた由(笑)
当時は無名の若い青年... ハンサム系ではなく色黒の小デブ
文通相手の方、彼の将来が読めていたら! 文通はけして途絶えなかったことでしょう。

> 今の小椋佳氏は 当時より何倍も魅力があります
やはりね、内面の魅力が外面を年齢とともに化学変化させます

> 小椋氏は胃がんを 太田裕美さんは乳がんを克服...
ついでながら... デ某は腎がんを克服しました

> イルカは難病の夫を亡くしました。
> りりィはまだ60代前半で 肺がんを患い亡くなりましたね。

イルカの夫さんのことは存じませんでした。
検索したら... パーキンソン病を患っていらっしゃった、と。
りりィは ハスキーな声質がいつもリアルで聴きほれます。
役者としても 渋い役柄がキラリと光り 惹かれました。

> ジョーン・バエズの歳と共にかもし出す 強さと雰囲気が好きです。
歳を重ねても変わらない彼女であり 歳を重ねるごとに"歳の功"を際立たせています。

> 歌声を聞いていると 自分の若かりし頃が思い出されて 胸がじ~んとします。
♯Me too!
"天賦の才" を大切にされていますから 生涯!現役として歌いつづけられると思います
緑の風 (リーのママ)
2021-04-26 11:33:33
新緑がまぶしくて緑色の風が吹いているようです。
今日はちょっと強風ですが
♪ウィシャルオーバーカ~~ムと、少し年上の人から進められて職場のクリスマス会で歌いました。意味も知らず。
その人にとっては青春の歌だったのでしょうね。
私はのびやかに歌えるので気に入って歌いました。
懐かしい思い出です。

りりぃの曲は、まねて歌ってみたことがありますが難しくてやめました。あの声と雰囲気はまねできません。
フォークソングは私にとって歌う曲でした。
その頃は歌いやすい曲が多かったですよね。
雑誌にも楽譜やコードがついていてギターをつまびながら一人でも楽しむことができました。

カラオケを経験したときはびっくりしました。
「楽譜がなくて歌詞だけでどうやって歌うの?!」と。だから大人になってからはあまり歌わなくなりました。最近の曲は難しいですしね。
Re : リーのママさん「緑の風」 (デ某)
2021-04-26 13:13:02
リーのママさん
コメントありがとうございました

> 新緑がまぶしくて緑色の風が吹いているようです
"緑の風" ... 良い言葉ですね。"リーのママさんの風" を感じました。

> ♪ウィシャルオーバーカ~~ム... のびやかに歌えるので気に入って歌いました。
この歌と岡林信康「友よ」... 私は友人達と腕や肩を組んでよく歌いました
組むのが女性だと 温もりを感じて とても幸せな時間...
そんなときは「勝利する」のはどうでもよかったりして

> りりぃの曲 ... あの声と雰囲気はまねできません
私より年下でしたけど いつも オトナ!を感じさせる女性でしたね。

> フォークソングは私にとって歌う曲でした。
♯Me too! 仰しゃるとおり しゃちこばって聴く音楽ではありませんでした。
今は大きなホールで聴くことが多く それはそれで嬉しいのですが、
かつては みんなで輪になって "Sing-out!" するのがフォーク流でした。
"Cotton Fields" も良く Sing-out しました。
和訳して『昔々おいらがガキだったころ聴いた綿摘みうた...』などと。

> カラオケを経験したときはびっくりしました。
私はカラオケが苦手で滅多に行くことはなく、生涯に3~4回程度。
「さらば青春」を歌うぐらいで、周りのひとは如何にも "聴きたくない" 風でした

"緑の風" にちなみ「グリーンスリーブス」を!
 前々回「パリは燃えているか」でご紹介した加古隆さんの 静かな しかし情熱あふれるピアノで…
https://www.youtube.com/watch?v=KFQG0Nj-HoA

"Cotton Fields" も!
https://www.youtube.com/watch?v=poZx9jKlBoY
好きな曲ばかり (お母ちゃんの徒然)
2021-04-26 17:13:59
銀行マンがシクラメンのかおりでブレイク
外国にいた小椋桂さんに
日本が大変なことになっているから 
暫らく帰ってくるなの銀行からの知らせ
それからは内に込めた素晴らしい曲ばかり連打
さぞや華やかな御家族だろうと想像するや
それは普通のご家庭の親と同じご苦労もあられたのですね
デ某さんアップの曲の数々年代的に私たち時代に癒しと生きる強さを与えて下さいました
デ某さん丁寧なブログアップ有難うございました

どちらかと言うと女であるワタクシが粗野でデ某さんのデリケートなブログに頷いております
東大紛争に受験の齢なのですね

学生紛争に甦らせてくれた韓国ドラマ(ええ~韓国ドラマに飛ぶのかい)
支離滅裂ですが 古いドラマ「砂時計」もよかったわ
なんでん かんでん
良い物は過去に遠ざかっていきます
でも幸せでした 触れる事が出来たのですもの
今一生懸命に良い物を探して明るく歩いて行かなければ

ワクチンの封書が届きました お婆が打てるのはいつになるんでしょう

補正選挙があちこちで行われましたね
1票の責任は我にあり 妥当な結果でした

まとまりがなくすみませんでした END
Unknown (Anne)
2021-04-26 20:08:15
尾崎豊さんの命日なんですね。

つい最近、私の暮らす近所の病院が最後に救急搬送された病院と聞いて、いまさらながらジーンと来たところでした。
生きていたら56歳!
不謹慎ですけれど、亡くなった年齢のままってちょっと羨ましい気持ちも・・・
私は輪廻転生を信じているので・・・

リリィ好きだったなあ・・・
何しろ若いころは、中島みゆきのデビュー曲「あざみ嬢のララバイ」が大好きだった位根暗っぽい私でしたからリリィも大好きだった( *´艸`)

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