デ某の「ひょっこりポンポン山」

腎がんのメモリー(術後10年クリアーし"卒がん")、海外旅行記、 吾輩も猫である、人生の棚卸しなど。

衰えし我が男根の朝湯かな

2018-03-13 21:41:30 | 新聞・TV・映画・舞台・書籍etc.

 衰えし 我が男根の 朝湯かな

 季語にも五七五の定型にも捉われない自由な俳句、花鳥諷詠ではなく生きものの根源、人間を描こうとする金子兜太(とうた:本名)さん。冒頭の句は温泉好きの兜太さんのお人柄と句風そのままで思わず笑ってしまいます。確かに生きものの根源!を詠んでいますね。

 金子兜太さんは、先月20日、98歳の生涯を閉じ旅立たれました。その追悼でしょうか、4年前に放映されたETV特集「94歳の荒凡夫:俳人 金子兜太」が再放送されました。冒頭の句は、番組の初めに、温泉につかる兜太さんが即興で詠まれた句でした。


 
  曼珠沙華 どれも腹出し 秩父の子

 兜太さんの故郷は秩父盆地(埼玉県)。郷里の野山をシャツもはだけ飛びまわっていた少年時代を溜息のように懐かしみ詠んだ句でしょうか。郷里で開かれた94歳の誕生日を祝う会では「94になったという実感はないですねぇ。70ぐらいだと思っている」と。



  よく眠る 夢の枯野が 青むまで
 
 90歳を過ぎて胆管がんが見つかります。高齢ゆえ「何が起きるかわからない」手術も、主治医に「悪いものは取って下さい」。生来!丈夫な身体に恵まれ、術後の血液検査は「まったく問題ありません(主治医)」。骨密度測定では「二十代」の判定でした。 

 主治医は「術後、膵液が漏れ炎症や痛みが出る可能性が高い手術でしたが、そうなっても手術を選んだことに少しも後悔されるところがありませんでした」「潔い、男らしい方だと思います」と。この潔さ、男らしさ・・・イサギ悪くメメしい私が羞かしくなります。

  長寿の母 うんこのように 我を生みぬ

 兜太さんは17歳の母親から産まれました。「うんこのように」と詠まれたように、若くて初産にもかかわらず安産だったのでしょう。俳句について兜太さんは「生まれながらの運命」「秩父音頭の七七五の韻が幼い頃から身体に沁み自然に句が出てくる」と。



 魚雷の丸胴 蜥蜴(とかげ)這い廻りて 去りぬ

 東大(経済学部)を繰上げ卒業後、日銀に入りますが、三日でやめて海軍に。25歳でトラック島に派遣(主計中尉)されます。連合艦隊に見捨てられた部隊は兵器も食糧も自給を強いられます。手榴弾製造の過程で火薬が暴発、兵二人が空中に吹っ飛び即死します。

 死体をみんなで担ぎワッショイ!ワッショイ!と掛け声をかけて兵舎に運びます。兜太さんには、共に戦う同志として或る種!温かい労わりに感じられた由。人間が不断に殺し合い死ぬ戦争、海底に沈んだ魚雷に蜥蜴が這い回る光景を詠んだ一句は鮮烈です。

 水脈(みお)の果て 炎天の墓碑 置きて去る

 最後の引揚船で島を去るにあたり、死んだ戦友の墓碑を作ったそうです。「たくさんの人が死んだ。俺は生き残った」。26歳の兜太さん、非業の死をとげた戦友達にどう立ち向かうべきか・・・「帰ったら戦友たちのためにも尽くせることをやり尽くしたい」と。



  一機関車 吐き噴く白煙に くるまる冬

 戦後、日銀に復職します。国の機関が何一つ変らないことに失望し、立身出世を捨て組合活動に走ります。「機関車」には「帰還者」も掛けられているのでしょうか、大したスピードもなく気負って愚直に走る機関車に、自身の姿が重なったのかもしれません。



  暗闇の 下にくちびる 分厚くし

 レッドパージで組合を離れ、福島支店に転勤。くちびるを「噛みしめる」ではなく「分厚くし」。兜太さん自身か、それとも戦後の混乱期を耐える人々を指しているのか・・・。花鳥諷詠に流れがちな俳句の世界にあって、現実と対峙するリアリズムが感じられます。



  銀行員ら 朝より蛍光す 烏賊(いか)の如く

 福島から神戸に転勤。ホタルイカのように朝から蛍光しては消耗する行員達。しかしここで兜太さんの世界が広がります。詩の中でも世界一短い詩である俳句にどれだけ人間と社会を発見でき、そこからどれだけのものが描けるか・・・一つの目標が芽生えました。
  
  湾曲し火傷(やけど)し爆心地のマラソン

 神戸から更に長崎に転勤。元気に健やかにと・・・全国にマラソンのブームが訪れました。長崎では平和祈念像のゴールをめざして走ります。ぎらぎら肌をやく陽射しの中を駆け抜けるマラソンランナー達。その苦痛に歪む顔、身体が原爆投下の一瞬に重なります。



  津波の後 老女生きてあり 死なぬ

 毎月一回、朝日新聞の「俳壇」を担当。2011年3月11日の大震災もその撰をする中で迎えました。大震災を描く短歌が続々生まれ「俳句は時事への反応が鈍い」と言われる中、兜太さんの瑞々しい感受性が生みだした兜太さん自身、会心!の一句でした。

 津波に襲われ逃げ遅れた老女と孫。水に浮かぶ屋根にへばりつきます。少しの食糧で命を繋ぎ、少年が時々屋根に上って援けを求めました。やがて発見され少年を救助すると、もう一人、老女も生きていた!・・・と話題になったニュースに触発され詠んだ句です。



 「生きていて生きてるだけで燕(つばめ)くる」「春も人も神をも連れて去る津波」。
 これは兜太さんが撰じた朝日俳壇の句です。兜太さんは、あの東北大震災で「俳壇にも時事に敏感に反応する秀句がたくさん生まれてきた」ことを歓んでいました。


   

 春の牛 空気を食べて被曝した(中村晋)

 兜太さんが主宰する同人誌「海底」の中村晋さん(福島の高校教員)の句です。兜太さんは「春の牛っていうのがいいですねぇ。そこに福島の哀しみが凝縮されています」と。震災後、句作が出来なくなってしまった中村さんでしたが、この句で再び甦りました。 

 「ひとりひとりフクシマを負い卒業す」は、中村さんの教え子が詠んだ句。ヒロシマ、ナガサキにつづき、コウベではなくフクシマ。ただの大震災ではない、容易に復興が進まない核の脅威、放射能汚染の恐怖が、「フクシマ」の表記に象徴されているようです。


          福島西高校の教室にて 兜太さん(右) 中村さん(左)

 94歳の荒凡夫
 小林一茶が好きな兜太さん。一茶の日記に記された「荒凡夫」・・・何ものにも囚われず欲するまま平凡に生きる男、煩悩に従って生きるさして値打ちもない男。その言葉に自身を重ねます。私達には謙遜に見えても、兜太さんには正味の自分自身なのでありましょう。

    冴返る 兜太の山河 巨星墜つ
            ・・・・ 昨日(3.13)の「朝日俳壇」に撰ばれた一句。


   ※ コメント欄は取り敢えず開いたものの 無用かも・・・


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