四代目桶屋金之助の世界

おろかなるひとり言
胸を張れるような自慢話などはありません。
照れくさい話や恥ずかしい話ばかりです。

嫌な夢

2018-08-31 11:49:21 | 心の病を患って
今朝、嫌な夢を見た。
思い出したくない夢。
どんな夢かは、ここでは書きたくない。

適応障害、不安神経症、うつ、引きこもり
いわゆる心の病。

6年前の盆過ぎ。
職場に行くことができなくなった。
心療内科に行って診断。
休職することになった。

実はこの時季になると当時の引きこもり状態のことを思い出すのです。
なぜ、心の病を患ってしまったか。
その因果関係。
原因はなんとなく分かっている。
そのことは、もう頭の中から消し忘れたい。

なのに・・・
夢に出て来たんだよね。
嫌な夢が。

外は先ほど急に叩きつけるような強い雨が降っていた。
雨よ、嫌な夢を流してくれ。
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松岡直也 『夏の旅』

2018-08-30 10:46:32 | 音楽
松岡直也さん。知らない人もいるかと思うけど、
中森明菜さんの「ミ・アモーレ」の作曲者でもある。

若いころ、松岡直也さんのアルバムをカセットにダビングして
それを聴きながら知多半島などをドライブしていた。
横に女の娘(こ)が乗っていれば最高だったけど、たいてい一人だった。

海水浴などで賑わう内海。
8月の終りになれば人影もまばら。
渋滞もない。
軽快なリズム。心地良いサウンド。

夏の終りごろに、知多半島をドライブするにはぴったりの曲。
『夏の旅』もいいが『9月の風~通り過ぎた夏』も好き。
青春時代のいい思い出でもある。

でも還暦になったこの夏、以上に暑い。
猛暑、酷暑、熱中症。
そんな言葉を毎日聞く。

8月も明日で終わり。
なのに今日のこの地方の最高予想気温は36度。
体も暑さのせいで疲れてきている。
そして少々夏風邪きみ。
体がだるい。動くのもおっくうだ。

扇風機派だったけど、今夏はエアコン派。
8月の中電の請求書を見るのが恐い。
見れば今度は、冷や汗がでるだろう。

知多半島を松岡直也の曲でも聴きながらドライブ。
そんな気力はもはやない。
涼しい部屋の中で『松岡直也/ドライブ・ベスト』を聴きながら
このブログを書いている。
もう若くはない。齢を感じてしまった。

 
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あがた森魚 『最后のダンスステップ 』(昭和柔侠伝の唄)

2018-08-25 11:21:34 | 音楽
~語り~
私の名は朝子です。
齡は十八、身長は百六三センチです。
自分では綺麗な方だと想っています。
今、髪は短いですが、ぢき長くなると想います。
お酒はまだあまりのめませんがブルースとタンゴぐらいは踊れます。

♪今宵かぎりのダンスホール
あなたのリードで ステップ踏めば
お別れするのに夜会服が
 何とか明日もくうるくると

 おいらめとろのつむぢ旋風
 ソフトハットをなびかせて
シベリア·ケーキにお茶でも飲んで
ギンザのキネマに行きたいナア

 踊ろうか 踊りましょう
せめて 今宵かぎりでも

 あなたなんだかおセンチね
もうすぐ外地へお出征しね
あたしも最後のパアマネント
この髪乱して踊りたい

 踊ろうか 踊りましょう
せめて 今宵かぎりでも

 今宵かぎりのダンスホール
 扉閉ざせば あすしれぬ
 今風立ちぬ いざ征かん
あすは 異邦のつむざ風

 踊ろうか 踊りましょう
どうせ 今宵かぎりじゃない

 
あがた森魚さんの『最后のダンスステップ 』(昭和柔侠伝の唄)
この歌を最初に聴いたのは中学か高校生のころ。
あがた森魚さんと云えば代表曲『赤色エレジー』
暗い歌である。
テレビで観たときはジーパンに下駄ばき。
当初はそんなにも興味は持っていなかった。
でも数年前、中古のベスト盤を買って気にいったんだよね。

この『最后のダンスステップ 』(昭和柔侠伝の唄)
よく聴くとこの歌も反戦歌か。
近いうちに出征する。
せめて最後くらいダンスホールで踊って楽しみたい。

出征する気持ち。
きっと辛いだろうな。
戦争のない、いつまでも平和な世界であってほしい。

10代のころ聴いた時は、この歌の意味がしっかり理解できなかったけど
大人になった今、再度じっくり聴くとなんとなく理解できる。
戦争の悲しい歌である。
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笠木透 『特攻花』

2018-08-24 11:05:20 | 音楽
8月15日のブログを読んでいると
戦争を知らない多くの方々が戦争について語っていた。

8月15日終戦記念日。
戦争を経験した方々も減り続け
多くの方々は戦争を知らない人たちとなってきている。

悲惨な戦争。
二度とあのような世界には戻りたくない。
語れる人たちが減る中で「悲惨さ」は、
次世代の若者たち、いや永遠に語り継投げなければならないと思う。

そんなことを思いながらブログを読んでいると
1曲の歌が頭の中に浮かんだ。
笠木透さんの『特攻花』

♪知覧を飛び立った 特攻機が
 給油のために 島へ降りた
 タイやについた 種がこぼれて
 見たこともない 花が咲いた

 ※ 風吹けば 風にゆれ
   雨降れば 雨にぬれ
   少(くう)さ 愛(かな)さ 赤い花だよ
   少(くう)さ 愛(かな)さ 赤い花だよ

 本当の名前は 知らないけれど
 小さな時から そう呼んでいた
 戦争のことも 知らないけれど
 誰言うともなく 特攻花

 ※ くりかえし

 広がる海の 青さの中で
 萌える緑の 青さの中で
 ポッンと赤い血が にじんがような
 沖縄の海に 消えた青年たち

 ※ くりかえし

 ● 少(くう)さ 愛(かな)さ = 沖縄の言葉

 口伝:豊岡千穂子 作詩:笠木透 作曲:田口正和

この歌は、喜界島の出身の豊岡さんが笠木さんに出した一通の手紙から作られそうです。
豊岡さんは、お母さんからいつもこの花のことを聞かされてきたそうです。
「この花ね、特攻隊が運んできたんだよ。
 この花を運んできたお兄さんたちは、二度と帰ってこなかったよ」
特攻花は、この地上から戦争がなくなる日まで咲きつづけることでしょう。

 ※参考資料/笠木透ソングブック’93より
 
戦争の語り部が少なくなってきた今、
歌から戦争の悲惨さを知ることもできる。
悲惨な戦争の歌も聴き継がれていってほしいと思っている。

笠木透さん、知らない方も多いでしょう。
中津川在住の社会派フォークシンガー。
あの伝説の野外イベント「中津川フォークジャンボリー」を
主催した中心人物の一人です。

彼の歌は自然や戦争をテーマにした歌が多いです。
残念なのは2014年の暮れに直腸がんで亡くなったこと。
彼の歌はもっと多くの人たちに知ってもらいたいと思っています。

『特攻花』興味のある方はユーチューブで聴くこともできます。
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伊勢神宮界隈食べ歩き~内宮編~

2018-08-22 11:22:19 | 日記
前回の続きです。

外宮からバスに乗って内宮へ。
伊勢神宮参拝きっぷには三重交通のバスが乗り放題。
だからバス代の小銭の心配はいらない。

まずは内宮で参拝


参拝後はもちろんおかげ横丁で食べ歩き。


おかげ横丁は人がいっぱい。
よそ見をしているとぶつかってしまうぐらい賑わっている。
まずはどこがいいか。
みたらし団子が食べたい。
そう思ったら目に入ったのがこの暖簾。


ここで団子を食べよう。


そしてお土産は虎屋のういろうでも


せっかくならたこ棒も食べたい。
でもランチで食べたうな丼の量も多くてお腹はまだ減ってない。
それに団子も食べたことだし・・・。
そういえば、宇治山田駅に確かうっていたはず。
帰りに買って晩ご飯のおかずにしよう。

伊勢の食べ歩き
締めは何と言ってもこれでしょう


赤福氷。
一杯の量が多いんだよね。
だから嫁さんと二人で食べた。
ちゃんとお餅は二つ中に入っている。
周りを見ると二人で一杯を食べている人たちも何人か見かけた。
店の人もそれはわかっているのだろう。
お茶は二人分用意してくれた。
久々に食べると美味い!

この日は天気にも恵まれ、
気温もそんなにも暑く感じなかった。
伊勢神宮内の木陰からは、さわやかな風が頬に伝わる。

今回の伊勢への小旅行は、僕の還暦祝いの旅行でもある。
だから、ほとんど嫁さんの小遣いから行かさせてもらった。

60年生きて来られたことへの感謝。
そして嫁さんへの感謝。
神様にこれからも健康で明るい家庭でありますようお願い。
思うでに残るいい一日であった。

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