《連載(短期集中/毎週火曜日)》
私の台湾物語⑤(最終回)
日本と台湾は兄弟国
下高原 洋(漁業コンサルタント)
「私は日本人だった」と公言した李元総統
ここで再度、私が何故、台湾を敬愛するかを話しておきたい。 日本は敗戦により、米国から「憲法」という名の「占領基本法」と「アメリカ式民主主義」を与えられた。それを有難く受け入れた日本も日本 . . . 本文を読む
《新連載(短期集中/毎週火曜日)》
私の台湾物語④
日本精神と二二八事件
下高原 洋(漁業コンサルタント)
台湾人に教えられた「日本精神」
何度も訪台して黄志明さんと会うたびに、「日本の戦争はアジアの国々との戦いではなく、当時、これらの国で搾取を目的とした植民地政策をしていた欧米の国々との戦いであった」「アジア人たちに独立の勇気を与えた」 . . . 本文を読む
《新連載(短期集中/毎週火曜日)》
私の台湾物語③
日本からやって来た熱血教師
下高原 洋(漁業コンサルタント)
台湾に赴任した伊沢修二と7人の熱血教師
渡台した菊次郎と時を同じころ、台湾教育を語る上で、忘れてならない人物がいる。唱歌『仰げば尊し』を作曲したと言われる伊沢修二だ。
▲伊沢修二
伊沢は明治8(187 . . . 本文を読む
《新連載(短期集中/毎週火曜日)》
私の台湾物語②
それは西郷隆盛から始まった
下高原 洋(漁業コンサルタント)
▲西郷菊次郎
「西郷堤防」を造った菊次郎とは
台北の東約 60 キロのところに宜蘭県がある。高速道路を使うなら、車で 30 分ほどで着く。その宜蘭県に広がる宜蘭平野は、温泉や肥沃な土壌と豊かな水、農産物に恵まれた風光明媚 . . . 本文を読む
《新連載(短期集中/毎週火曜日)》
私の台湾物語①
台湾でビジネスを手伝う
下高原 洋(漁業コンサルタント)
【下高原洋(しもたかはら ひろし)さんのプロフィール】 昭和28(1953)年、横浜市生まれ。日本大学付属の中・高校から日本大学入学。大学では、あの強豪のアメフト部(日大フェニックス)に所属した。25歳のとき、川崎市北部中央市場の開場に伴って独立する友人と水産仲 . . . 本文を読む
《新連載(短期集中/毎週火曜日)》
私の台湾物語③
なぜ熱血教師6人は惨殺されたのか
下高原 洋(漁業コンサルタント)
台湾に赴任した伊沢修二と7人の熱血教師
渡台した菊次郎と時を同じころ、台湾教育を語る上で、忘れてならない人物がいる。近代日本の音楽の祖であり、頌歌「仰げば尊し」を作曲したと言われる伊沢修二だ。なんと、この「仰げば尊し」は . . . 本文を読む