ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

御霊から永遠のいのちを刈り取るのです

2020-03-19 22:17:00 | 聖句暗記
今月の聖句暗記の3つ目
ガラテヤ6章8-10節
8自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
 自分自身の肉的な満足を求めることに意図して蒔いている者は、肉から滅びを刈り取ることでしょう。で、霊的なことを求めることを意図して蒔いている者は、御霊から永遠のいのちを刈り取ることになります。未来形の約束です。動機の部分まで掘り下げて吟味する必要があります。

9善を行うのに飽いてはいれません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。
 私たちは、しばしば、動機を吟味した上で始めた善行も、色々な理由で、やる気や熱心を失ったり、がっかりしてしまうことがある。そして怠慢な姿勢になっている。そんな飽いているような状態が続いていてはいけません。
 なぜなら、時期が来て、いずれ時が来て、やがて、じきに、刈り取ることになるでしょうと約束されているのですから。
 いよいよ、刈り取る時が来ているのに、もう失望してしまって、疲れ、弱り果ててしまっていないで、無気力に成り果ててしまって、手も足も出ないというような状態になってはいけないから。

10ですから、私たちは、機会があるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちために善を行いましょう。
 ですから、従って、こんな約束があるのですからと強調している。
 機会を持っている限り、神様は機会を与えてくださっているのですから、善を行いましょう。
 誰を対象にするのかと言えば、すべての人に対して、その中でも特別に、信仰の家族の人々に対して行ないましょう。

★宣教師のご両親が今、日本に滞在されています。豪華なご馳走をすることも、英会話もできませんが、英語がわかる姉妹とともに、お茶にお誘いしようと決めました。私たちと、相手の方とのスケジュールが合えば、善を行う一つの良い機会となるでしょう。

★昨日、第一志望の高校が不合格になった女の子の家に、ささやかな花束を、JRで4駅先のご自宅の玄関まで届けに行くことを決めました。



 たくさんの聖句を覚えている人は、必要な時に、必要なみことばを思い出すように導かれるのでしょうが、私は、残念ながら、しっかり覚えていなくて、その時々に神様が与えてくださるみことばに頼っています。
 この聖句も、何年か前の聖句暗記の課題でした。今、大切な部分を忘れていたり、うろ覚えである自分に、いつもながら、がっかりします。
 しかし、今日も、神様が改めてみことばを与えてくださったので、喜んで、感謝して受け取り、従います。
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あなたがたは生きるのです

2020-03-19 21:23:04 | 聖句暗記
もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
ローマ8:13

間違いは1カ所
肉に従って生きるの肉はサルクスで、からだの行いのからだはソーマ


今日、小さい時から教会にきている女の子が、第一志望だった公立高校に不合格だったとお母さんからメールがありました。
昨日、お母さんと話をしたのですが、その時、もし不合格だったら、教会の中で、他の人にどのように言われるか。そしてその言葉で娘が傷ついてしまうのではないか、と心配しておられました。


私たちの教会は、各学年に複数の子供達がいる教会です。これまで、学校の成績やそのほかのことで、比べられて嫌な思いをしたのが原因で教会に来るのをやめてしまった子供が、実は何人もいるのだと聞きました。悲しい話です。


ここで、私は、いったい誰が、誰にどんなことを言って、どうなったの・・・というような話を聞こうとは思いません。むしろ、兄弟姉妹の中でのそのような話を知らないまま、教会生活がこれまでやってこれたことは幸いだなって思います。聞けば心が騒ぎますから。


この高校受験をした女の子は、まだ信仰告白をはっきりとしていません。今回、もし辛い経験をするなら、その経験を通して、イエス様を深く知ることができるように。肉的な思いではなく、霊的なことに関心を向けることができるようにと、願います。
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外面より内面を

2020-03-19 20:28:28 | 聖句暗記
いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。
みことばを聞きはするしたが、とかくするしているうちに、世の〇〇この世の心づかいや、富や、〇〇に快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。
しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。
正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。 
ルカ8:14.15

聖句暗記のテスト 6カ所間違った
  1. こういう人たち---複数
  2. みことばを聞きはしたが---過去に聞くには聞いたが
  3. この世の----暮らし向き、生活
  4. 心づかい---思い煩い、心配事
  5. 快楽---楽しみ
  6. しかし、---で、一方 
神様が、神のみことばの種を蒔く目的は何だろう。芽が出て、葉が成長して、花を咲かせ、実がつくだけではない。
その目的は、実が熟して、実を結んで、そして、また種となって、次の良い地に蒔いて広がっていくことだと思われる。

神のことばにはいのちがあって、成長して増え広がる力を持っているものである。
だから、それが、神に敵対しているこの世のことによって、その成長がふさがれるようなことがあってはならない。



そのためには、いばらのように覆い繁って来るようなものがあれば、早めに処分して、地を、心を、やわらかく掘り、耕すことをしよう。
時間をかけて実を結ばせることを願って、良い地となって、神のみことばを受け取ろうと思う。

実を結ぶためには、茂った葉や奇麗な花など、外に見える外面だけで喜んでいては足りない。内面が大切です。
しっかり守る、手元に保持し続けるのだ。
よく耐えて、忍耐する中で、実を結び続けるのだ
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父の命令は永遠のいのち

2020-03-19 14:55:24 | 伝道
46わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。
 もともと、人間は生きる意味も目的もわからず、暗闇の中に生まれ、暗闇の中で死んで行くものでした。しかし、創造主なる神様から遣わされて世に来られた「光であるお方」イエス・キリストを信じる者は、もはや暗闇の中にずっといることはない。
 私は、特に体調がすぐれない時など、いつの間にか神から離れて暗闇の方に向かっていることがあるが、それはいつまでも続かない。必ずイエス様が、その私の思い・考え・行ないに光を当てて、変えられるのです。




47だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。
 イエス様が世に来られた目的は、「さばく」のではなく「救う」ため。
今、イエス様の言うことょ聞いて守らなくても、今、すぐに、この地上で、さばかれることはない。




48わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
 イエス様の語られた言葉やイエス様のなさった事々をはっきりと否認する者、受け入れて聞き従わない者は、彼をさばく方を今すでに持っている。再臨の時、最後の審判の時には、イエス様の語ったみことばが、彼をさばくことになります。
 私は、語られた救いのメッセージ、恵み深い救いの提供を受け入れてキリスト者となりました。その時、一緒に来ていて一緒に洗礼をうけましょうと言っていた方は、結局拒んで教会から去りました。大きな分かれ目でした。彼女とはそれ以来、一度も会ってはいません。どうされているでしょう。

 


49わたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。
 なぜ、イエス様の話した言葉によって終わりの日にさばかれるのか。それは、イエス様は自分自身で語っているのではなく、むしろ、イエス様を遣わした父なる神様ご自身が命令・戒めを語っているからです。
 その命令・戒めとはイエス様が何を語り、何をしゃべるのかを、前もって父なる神様はイエス様に授けておられたからです。
 だから新約聖書のイエス様のことばは神の言葉です。また神の言葉である旧約聖書は、そのまま聞き従うのではなく、イエス様を旧約聖書で預言されている救い主であると理解した上で、理解するべき。ここは私のテーマです

 


50わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。
永遠のいのちとは、父なる神の命令に従うこと。
永遠のいのちとは、神の語りかけを聞いて、徹底的に聞き従う生き方をすること。父なる神様に従順に、十字架にまで従い通されたイエス様を信じ受け入れること。
永遠のいのちとは、死んでよみがえられて、今もこれからも永遠に生きておられるイエス様を、心に迎え入れて、父なる神様との交わりの中で生きること。
 私は、自分が光の中を、光である方とともに、永遠のいのちを生きることが赦されていることを、はっきり知っています。神の支配の中、天国で今、生かされていることを喜んでいます。
足が痛くて、気持ちが沈んでいましたが、今、みことばにより、引き上げられて、ハレルヤ! 讃美します
先週、イエス様を信じ受け入れた若いママが、自宅で祈っていると、ご主人が子供には影響を与えないで欲しいと言われたからもう教会には来ないと言われたそうです。よくあるパターンですが、それでも、賢い選択をして、子供を連れて教会に来られますように。


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