ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

ハワイからのご夫妻とのお茶の時間は

2020-03-24 18:13:00 | 喜び
Chuck & Carol と2時間余りの会話は、楽しいものでした。
彼ら、それぞれのファミリー・ヒストリーをまず聞いた。
私も、夫が召された時の話などをした

彼らは、携帯で聖句を見て、ハワイから日本に来る日前に神様から与えられたことばや、祈りの友達から送られたみことばを紹介してくださった。
私は何度も、「もう一度、言ってください」と言ったけど、やさしい言葉を使って、わかるように話してくださった。
私は英語&日本語の対訳聖書を開きと、聖句箇所をメモして、話を聞いた

第一ヨハネ1:18 3愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰ば伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。
------恐れなく、日本に福音を携えて来たとのことです

ヨシュア記1:11 「宿営の中を巡って、民に命じて、『糧食の準備をしなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡って、あなたがたの神、主があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、進んで行こうとしているのだから』と言いなさい。」
-----日本に来る三日前に、このことばが与えられた


ヨシュア記1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」 
-----日本に来ることに対する恐れは感じなかった


ヨハネ4:32 しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしらは。あなたがたの知らない食物があります。」
---主日説教への応答のところで、話された。


ルカ4:3 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない。』と書いてある。」
-----テーブルに並んだおはぎや、果物もすばらしいがこの世のもの。永遠に残る霊的な話はもっと素晴らしい。


1コリント2:11.12.14 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように。神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。
2:12ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです
-----どんな前後関係の中で語られたのか、ちょっと忘れました


2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
----私が実家を売り払って教会の近くに引っ越しをして来たことや、息子が私にも福音にも心を開いていない話をした時だったと思う。

彼らは、みことばにより励ましを受けたとおりに、ギリギリのところでハワイから出ることができ、ギリギリで帰国することができました。一日遅れたら帰れないところでした。


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私たちの心はうちに燃えていたではないか

2020-03-24 06:16:00 | 礼拝説教
ルカ24:15話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。

1998年は、新幹線に乗って、4箇所を巡り続けていましたが、イエスご自身が私にも近づいて、ともに道を歩いていてくださいました・

住所があったのは-----学生だった子供達がいた
妹の家----癌で入院、小さい子供達の世話のために滞在した---ここで聖書をもらった
空の実家----法事や親戚付き合い、庭の手入れに、毎月通っていた
夫の単身赴任先-----ここで初めて教会を訪問   
礼拝出席 3/8   3/22  4/5  4/26  5/24  6/7 
牧師との面談 7/21  7/28   8/3 イエス・キリストを受け入れた 
続けて、年末までに13回の個人指導をしてくださった。夫のところに滞在する日が増えて落ち着いてきて、婦人会にも出席した。
12/13 受洗 翌年も牧師の個人面談は何回か続いた

ルカ24:32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」 

震災後すぐであったし、求道者の数が少ない時だった。私の知らないところで、きっと祈られていたことでしょう。

礼拝説教は、この年、使徒の働きの連続講解説教が始まったばかりの時でした。イエス・キリストの昇天の話は、信仰のない私にも、衝撃的で、印象の残る話でした。

個人面談では、牧師が初めて書いて出版したばかりだった本をいただいて、読んで学びました。その後、たくさん執筆されるようになりましたが、私は書かれた本で学んだ信徒第一号となりました。

ルカ24:45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、 24:46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、 24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。 

牧師は、自分のいのちをかけて、弟子を生んで育てて、そして弟子づくりのできる弟子を育てておられる。その彼に、「私たち」と言ってもらえるくらいのチームに入って、「人を回心に導いて「、その人を弟子づくりをする働き」に、残されたいのちをかけようではないかと思う。燃やされようではないかと思った。ちなみに牧師は私と同年齢。


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