特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

愛知ボラセンの活動予定⇩(更新日:2024.5.3)

令和6年能登地震 被災者応援ボランティアバス
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NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。

災害時のボランティアツアー実施に係る通知の適用対象となる地域について


■今後のボランティアバス活動予定
第10回 5月25日(土) ≫ 26日(日)
※現地との兼ね合い、また定員数に満たない場合などで変更になることもあります。

愛知ボラセンの原点~朝日放送・阪神淡路大震災25年 激震の記録

2020年01月18日 14時04分19秒 | 【令和元年(2019)東日本台風】長野市ボランティア

代表の久田です。

25年前の阪神淡路大震災で、被災者ほどではありませんが、私の人生もかわりました。

大阪・朝日放送はホームページで阪神淡路大震災の映像記録を公開しています。
その中で、25年前の私(当時の体重は約63㎏、今は約53㎏なのでちょっと小太りです^^;)が
約100人の高校生を前に語っています。

朝日放送のHPでは、「語る男性」としか紹介されていません。
この活動が、今もっと大きくなっているとは、当然のことながらご存知ないと思います。

https://www.asahi.co.jp/hanshin_awaji-1995/
まずこのページを開いてください。
震災の動画がでてきます。スキップすることも可能です。動画が終わると地図がでてきます。
105をクリックしてください。動画は日付順になっています。
2月11日までいくと「愛知県から高校生ボランティア」がありますので、それをクリックしてください。

次に地図上の49をクリックしてください。
やはり2月11日の日付をさがしていくと、愛知県の高校生ボランティアに関する動画が4本あります。
避難所での仮設トイレや、高層マンション上層階への水運びボランティアをした高校生のインタビューです。

合計5本、とても貴重な動画です。

なお、この情報を寄せてくれたかつての参加者から、
「(この参加者の中には)分かっているだけで、救命救急医が2人、アフリカで開発支援に当たってる人が1人、
病院介護の事務を取り仕切る人が1人、青年海外協力隊に行き、その後、養護教諭の指導者が1人がいます。
みんな大きな影響を受けたと思います。その節はありがとうございました。

とメッセージが届いています。


0泊3日のボランティアバスはこの時からです。
1995年2月11日(土・祝)で連休でした。
そこで、2月10日(金) 夜に大型バスで、名古屋を出発し、未明に神戸着、
終日活動して、12日(日)早朝に名古屋に帰ってくる高校生ボランティアを企画しました。
これなら宿泊施設の問題もなく、多くの参加者を組織できると考えたからです。
当初はバス1台のつもりでしたが、参加希望者が多く、急遽バス2台となりました。
これが私にとっての第一回の災害ボランティアバスでした。
それが、愛知ボラセンの石巻への0泊3日のボランティアバスに繋がっています。

この時、私は支援物資の仕分けをしました。
全国から神戸に寄せられた膨大な数の段ボール箱を開き、仕分け・分類しました。
私の記憶では、100メートルくらい連なったテントが5列くらいありました。
これはまったく正確ではありませんが、そのくらいの主観的にはとんでもない量の物資が届いていました。
責任者からは、中古衣類はすべて捨てる。
タグのある新品衣類だけを男性、女性、子どもに分類する、ように指示がありました。

この作業を続けながら、私は、次に大災害が起きたら、愛知で集めて、分類して被災地に運べば
もっと多くの人が仕分け・分類ボランティアに参加できる、
私がこの程度のことを考えつくのだから、もっと優秀な人たちがもっと見事なことを考えるであろう、
と思っていました。しかし、その後の大災害でもほぼ同じようなことが繰り返されました。

そこで、愛知ボラセン発足にあたって、新品衣類だけを東別院にもってきていただき、
愛知・名古屋の皆さんにご都合のよい時間に集まっていただき、仕分け・分類ボランティアをはじめました。
やはり、この時に、愛知ボラセンの応援衣類活動に繋がっています。

この時、中央区葺合中学校で炊き出しを行っています。
そのご縁で、春休みに3泊4日の宿泊ボランティアを3回連続で行いました。
つまり9泊10日の高校生ボランティアで、常時80人を超える高校生が葺合中学校を宿舎として活動しました。
この時、葺合中学校には100人ほどの避難者がいました。
そこで、夕食の炊き出しは自分たちと避難者と学校周辺の方々に提供しました。
これが、石巻市十八成浜で、仮設住宅と地域全体を対象にお弁当を提供した「くぐなり食堂」に繋がっています。

この活動の前には、1月28日に神戸へ視察に行っています。今もボラバス派遣の前には視察に行っています。

震災でお父さんお母さんを亡くした子どもたちを応援する活動は、すでにこの時に決まっており、
活動主体は「震災孤児遺児に奨学金を贈る会」でした。

もう1つ重要なことは、私の「特技」です。
医者でもなく、重機を操れるわけでもなく、調理もできず、
被災地で活かせる「特技」は何もない、こんな自分がボランティアにいってもしかたがないなと思っていました。
しかし、重要な「特技」に気づきました。
それは、人を組織する立場と経験がある、ということです。
愛知県私立学校教職員組合連動という私立高校の教員のネットワークがあり、
愛知県高校生フェスティバル実行委員会顧問団長として大きなイベントの責任者の経験がありました。
この「特技」と経験を活かして、多くの高校生を組織しようということです。
20年間の高校生ボランティアで、のべ約1万人がいろいろなボランティアに関わりました。
これも今の愛知ボラセンにとっては重要な考えです。
愛知ボラセンほど、多くの市民の皆さんが活動に参加される災害ボランティア団体は
全国でもないだろうと自負しています。

さらに、今後愛知で大災害が発生すれば、
参加した高校生は真っ先にボランティアに駆けつけるだろうとも思っていました。
愛知ボラセンスタッフのほとんどは、高校時代にこの活動に参加していました。

つまり、1995年2月11日に、愛知ボラセンの活動に繋がることがすべてあったということです。
もちろん、当時は先のことは何も考えず、今やるべきことを懸命に考えて、行動していただけです。
結果として、朝日放送はとても大切な瞬間を記録し、公開してくれました。
ありがとうございます。

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