特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

愛知ボラセンの活動予定⇩(更新日:2024.4.7)

令和6年1月1日に発災した石川県能登地方を震源とする能登半島地震により、
お亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、
被災された皆さまに衷心よりお見舞い申し上げます。

NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。

災害時のボランティアツアー実施に係る通知の適用対象となる地域について


■今後のボランティアバス活動予定
 現在ボランティアバスの募集はありません。

災害ボランティア25年

2021年01月18日 14時05分05秒 | スタッフのつぶやき

代表の久田です。

ご存知の通り、昨日1月17日は阪神淡路大震災から26年目。
四半世紀がたちました。

阪神淡路大震災から始まった私の災害ボランティア活動も26年目になります。
そして、震災孤児遺児応援活動26年目。
阪神淡路大震災の孤児遺児はみな成人しました。
東日本大震災は今年で10年目。孤児遺児は小学校3年生以上になっています。
東日本大震災孤児遺児応援活動はあと9年で役割を終えます。
このまま9年で役割を終えられることを願うばかりです。

いつも思っていることですが、災害ボランティア活動は必要ないことが一番。
とはいえ、地震列島の日本列島では、大地震は不可避です。

これまでの経験を活かしつつ、次の大災害に備えていくことが大切なことは言うまでもありません。
コロナ禍で困難な活動状況にありますが、アンテナを鈍らせることなく、
備えていかなければと考えています。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月30日のワンコイン事務作業を中止いたします。

2021年01月14日 19時57分00秒 | NPO法人・運営関連
こんばんは。スタッフ田中です。
愛知県にもついに緊急事態宣言が出されましたね。

それを受け、1月30日に予定しておりました、ワンコイン・サポーターズ事務作業を中止することになりました。

ご予定くださっていた皆さま、申し訳ありません。

一日も早くウイルスが収束することを願い続け、一年が経ってしまいました。

ちょくちょく皆さんからお電話をいたたいたり、
こちらからお電話をしたり。

でもボランティアの皆さんにお会いしたいです。
お顔を合わせてお話し、意見を交わしたいです。

と、心の声が漏れてしまいましたが、
そんなのみんな一緒ですよね。

今年の名古屋は雪が降る日が例年より増えています。皆様ご自愛くださいね。

そのうち、何もなかったかのようにまた皆さんとあたたかい時間を過ごせる日を心待ちにしたいと思います。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「週末一人駅伝」3月に延期します

2021年01月05日 14時13分09秒 | 週末一人駅伝

あけましておめでとうございます。
代表の久田です。

昨日の中日新聞に「週末一人駅伝」の記事が掲載されました。
早朝から、しばらくお会いしていない先輩の先生から、「記事を読んで涙がでた」と励ましの電話を頂きました。
昨年10月からお世話になっている鬼頭整形外科スポーツドクターの理学療法士さんも記事をお読みになっていました。
フェイスブックで記事を紹介してくださる方もいらっしいました。
私としては、いよいよあと5日でスタートと逸る気持ちになっていました。

しかし、昨夜、菅首相の記者会見が行われ、
1月7日にも首都圏の1都3県を対象に緊急事態宣言が発令される見込みになりました。
4月のような全国的な外出自粛ではない模様です。
一人で走る「週末一人駅伝」は、「三密」とは無縁です。
また、私としては「不要不急」であるとは思ってはいません。

しかし、私がどう説明しても、この時期に首都圏をまたいで、
隔週に公共交通機関を利用することに強く違和感を持たれる方はきっといらっしゃるに違いない、
「愛知ボラセンは迷惑ボランティアだ」と非難される方もいらっしゃるに違いない、と
「GO TO トラベル」を全国一時停止した夜に会食をしていて批判されている菅首相の会見を見ていて思えてきました。

さらに次女からは、私が糖尿病疾患者(直近のHA1C値は6.6)であること、
妻も成人病に近い数値があること、
92歳の私の父が近隣にいること、
つまり新型コロナワクチンを最優先で接種することができる重症になりかねない家族が3人いるのに、と
涙を流して強く再考を促されました。

その時、ニュースでは、専門家が3月には少し収まる可能性が高いと説明していました。

この時期に実施することはあきらめました。
しかし、中止にはしません。
とりあえず、3月に延期します。

以下のように再計画をたてました。
3月11日(木)午後のあいち・なごや追悼式、
 夕方からの東別院でのキャンドル点灯追悼式で、約1万本のキャンドルを点灯。
 その後、ボランティアのみなさんとキャンドルなどの片付けを終え、
 午後8時頃、東別院を豊橋駅に向けて出発。午前5時頃、豊橋駅到着後は始発電車に乗って、東海高校へ。
12日(金)学年末考査の監督、採点などの試験業務を行い、夕方には豊橋駅へ。
13日(土)~16日(火)豊橋駅→神奈川県戸塚駅(約260㎞、1日平均約65㎞)
17日(水)答案返却
18日(木)進級査定会 終了後、戸塚駅へ。28日(日)頃に十八成浜到着予定。
福島県、宮城県では、コース近くにある震災伝承施設約80か所を訪問します。
そのため、1日平均30~40㎞になろうかと考えています。
計画的にいかないことも多々あろうかと思いますが、少し時間の余裕がありますので、
震災伝承施設訪問という新しい目標も設定します。

なお、3月も今と同じような感染状況なら、8月に延期します。

3月11日までの2か月、さらに身体強化に努め、「週末一人駅伝」に備えようと
決意を新たにしています。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の中日新聞に《週末一人駅伝》についてが掲載されました。

2021年01月04日 19時18分07秒 | 週末一人駅伝

こんばんは。スタッフ田中です。

バタバタとしておりまして、新年のご挨拶が遅れ申し訳ありません。

新型コロナウイルス感染症拡大により、活動を減らしながらも出来ることをと言いながら

もう10か月も過ぎてしまいました。

 

皆様はお変わりなくお過ごしでしょうか。

 

 

今日の中日新聞家庭面に代表久田の《週末一人駅伝》が掲載さましたのでお知らせさせていただきます。

「なぜマラソン?」「なぜひとりで?」

代表のこれまでの10年、そしてこれからへの想いが詰まっています。

 

中日新聞社の記者の方がそれはもう熱心に、一生懸命に「知ろう」「伝えよう」としてくださった記事です。

(代表へのインタビューは何と6時間にも及んだそうです)

まもなく東日本大震災から10年を迎えます。

 

被災地と、そして被災された方の力になりたいと出来ることを探し続けてきた10年。

愛知ボラセンの想いと、愛知ボラセンで活動をしてくださったボランティアの皆さんの紡ぎ重ねてきた大切な10年です。

これからも皆さんと手を取り合いながら、一歩一歩進んでいきたいと思います。

 

■中日新聞記事

https://www.chunichi.co.jp/article/179963?rct=life

 


■全文

足を動かすたび左膝が痛んだ。

前日は七十キロ、二日目のこの日は十時間をかけて五十キロ。

昨年十一月から、名古屋市の東海高教諭、久田光政さん(64)は、年明けの本番に備え、ひたすら走り始めた。

 

「被災地のために」の思いを抱いて。
十年前、二〇一一年三月に発生した東日本大震災。

被害の大きかった岩手、宮城、福島の三県で親を失った孤児、遺児は千八百人を超える。

彼らの進学を助けようと、久田さんが理事長を務めるNPO法人「愛知ボランティアセンター」は寄付を募ってきた。

発生直後から今までに寄せられた金額は四億八千万円にも。

教師として「学ぶことは世界を広げ、未来に歩を進める力になる」と信じ、毎年六万〜八万円を応援金として高校卒業まで贈り続ける。

千四百二十人が申し込み、受け取った。
もがきながらも前に進んでいるように見える子どもたち。

しかし、心は揺れている。

一三年から春と夏に行ってきた三泊四日の合宿。

二年前の八月、遺児五人で名古屋に来た福島県新地町の中学三年、荒怜弥(あられいみ)さん(15)は二日目の夜、

ほぼ話したことがない「あの日」のことを初めて口にした。


五歳だったこと、シングルマザーの母親を津波で亡くしたこと、

夜遅く伯父が保育園に迎えに来たこと、遺体と対面した時は眠っているだけと思ったこと。

言葉にすると寂しさに耐えられなくなりそうで、震災の記憶は心の奥に閉じ込めてきた。

「でも、本当は誰かに聞いてほしかった」。

 

同じ経験をした仲間やボランティアの大学生、久田さんらは黙って耳を傾けた。
合宿では毎回、震災について語り合う時間がある。

話したくなければ、話さなくていい。部屋を出てもいい。

一方で、しゃくり上げながら言葉を紡ぐ子もいる。

そんな時はボランティアが背中をさすったり、手を握ったりして寄り添う。

そこには、同じ場にいるからこそのぬくもりがある。
コロナ下の昨年、合宿は取りやめた。

オンラインでの開催は考えもしなかった。画面越しでは表情や声の微妙な変化が伝わらない。

ただ「被災地を忘れてはいない」と伝えたかった。
思いついたのが、五十九歳から本格的に始めたマラソンだ。

足がもつれて走れない時があれば、目の前の美しい景色に心を奪われる時もあるマラソン。

復興への長い道のり、人生にも似ていると感じた。
週末一人駅伝−。仕事が休みの十二日間を使い、被災地から名古屋まで約八百キロを走り切る。

今月九日、宮城県石巻市の牡鹿半島にある十八成浜(くぐなりはま)を出発。

がれき撤去などのボランティアを百三十回以上派遣してきた場所だ。

七十キロほど走って翌十日は多賀城駅から、十一日は福島・相馬駅から−という具合。

たどり着いた駅から名古屋に戻り、次回はその駅から走りだす。
 海が見えないほど高い十八成浜の防潮堤、東京電力福島第一原発事故に伴い、立ち入りが禁じられた帰還困難区域…。

コロナだけに目が行きがちだからこそ、走りながら被災地の「今」をユーチューブやツイッターなどで配信する予定だ。
 走って復興が進むなんて思わない。

けれど「応援しているという気持ちは伝えられる」。会えなくても「心はつながっている」と。
スタートは間もなくだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

活動予定カレンダー