特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

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今日の中日新聞に《週末一人駅伝》についてが掲載されました。

2021年01月04日 19時18分07秒 | 週末一人駅伝

こんばんは。スタッフ田中です。

バタバタとしておりまして、新年のご挨拶が遅れ申し訳ありません。

新型コロナウイルス感染症拡大により、活動を減らしながらも出来ることをと言いながら

もう10か月も過ぎてしまいました。

 

皆様はお変わりなくお過ごしでしょうか。

 

 

今日の中日新聞家庭面に代表久田の《週末一人駅伝》が掲載さましたのでお知らせさせていただきます。

「なぜマラソン?」「なぜひとりで?」

代表のこれまでの10年、そしてこれからへの想いが詰まっています。

 

中日新聞社の記者の方がそれはもう熱心に、一生懸命に「知ろう」「伝えよう」としてくださった記事です。

(代表へのインタビューは何と6時間にも及んだそうです)

まもなく東日本大震災から10年を迎えます。

 

被災地と、そして被災された方の力になりたいと出来ることを探し続けてきた10年。

愛知ボラセンの想いと、愛知ボラセンで活動をしてくださったボランティアの皆さんの紡ぎ重ねてきた大切な10年です。

これからも皆さんと手を取り合いながら、一歩一歩進んでいきたいと思います。

 

■中日新聞記事

https://www.chunichi.co.jp/article/179963?rct=life

 


■全文

足を動かすたび左膝が痛んだ。

前日は七十キロ、二日目のこの日は十時間をかけて五十キロ。

昨年十一月から、名古屋市の東海高教諭、久田光政さん(64)は、年明けの本番に備え、ひたすら走り始めた。

 

「被災地のために」の思いを抱いて。
十年前、二〇一一年三月に発生した東日本大震災。

被害の大きかった岩手、宮城、福島の三県で親を失った孤児、遺児は千八百人を超える。

彼らの進学を助けようと、久田さんが理事長を務めるNPO法人「愛知ボランティアセンター」は寄付を募ってきた。

発生直後から今までに寄せられた金額は四億八千万円にも。

教師として「学ぶことは世界を広げ、未来に歩を進める力になる」と信じ、毎年六万〜八万円を応援金として高校卒業まで贈り続ける。

千四百二十人が申し込み、受け取った。
もがきながらも前に進んでいるように見える子どもたち。

しかし、心は揺れている。

一三年から春と夏に行ってきた三泊四日の合宿。

二年前の八月、遺児五人で名古屋に来た福島県新地町の中学三年、荒怜弥(あられいみ)さん(15)は二日目の夜、

ほぼ話したことがない「あの日」のことを初めて口にした。


五歳だったこと、シングルマザーの母親を津波で亡くしたこと、

夜遅く伯父が保育園に迎えに来たこと、遺体と対面した時は眠っているだけと思ったこと。

言葉にすると寂しさに耐えられなくなりそうで、震災の記憶は心の奥に閉じ込めてきた。

「でも、本当は誰かに聞いてほしかった」。

 

同じ経験をした仲間やボランティアの大学生、久田さんらは黙って耳を傾けた。
合宿では毎回、震災について語り合う時間がある。

話したくなければ、話さなくていい。部屋を出てもいい。

一方で、しゃくり上げながら言葉を紡ぐ子もいる。

そんな時はボランティアが背中をさすったり、手を握ったりして寄り添う。

そこには、同じ場にいるからこそのぬくもりがある。
コロナ下の昨年、合宿は取りやめた。

オンラインでの開催は考えもしなかった。画面越しでは表情や声の微妙な変化が伝わらない。

ただ「被災地を忘れてはいない」と伝えたかった。
思いついたのが、五十九歳から本格的に始めたマラソンだ。

足がもつれて走れない時があれば、目の前の美しい景色に心を奪われる時もあるマラソン。

復興への長い道のり、人生にも似ていると感じた。
週末一人駅伝−。仕事が休みの十二日間を使い、被災地から名古屋まで約八百キロを走り切る。

今月九日、宮城県石巻市の牡鹿半島にある十八成浜(くぐなりはま)を出発。

がれき撤去などのボランティアを百三十回以上派遣してきた場所だ。

七十キロほど走って翌十日は多賀城駅から、十一日は福島・相馬駅から−という具合。

たどり着いた駅から名古屋に戻り、次回はその駅から走りだす。
 海が見えないほど高い十八成浜の防潮堤、東京電力福島第一原発事故に伴い、立ち入りが禁じられた帰還困難区域…。

コロナだけに目が行きがちだからこそ、走りながら被災地の「今」をユーチューブやツイッターなどで配信する予定だ。
 走って復興が進むなんて思わない。

けれど「応援しているという気持ちは伝えられる」。会えなくても「心はつながっている」と。
スタートは間もなくだ。

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